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会話をする相手もいなければ、メールを打つ相手も居ない。ただ耳元のイヤホンから流れる音楽に身を任せ、窓越しに景色を見ていた。
流れていく灰色のコンクリート、寒色系の屋根、暖色系の瓦。その上に覆いかぶさる空は、もう夜の青さを含んでいる。
しばらく眺めていると、見慣れた風景が流れ込むようになり、無意識に上着のポケットの中の定期券を確かめた。
『毎度ご乗車ありがとうございます。次は、○○駅。次は……』
駅からの帰り道、途中にあるスーパーで買った夕食の入ったビニール袋を手に提げ、帰路を辿っていく。
自宅のあるマンションにつく頃には、周りからはスズムシやコオロギの鳴き声が響き、空には少しだけ星が光っていた。
エレベーターを使って自分の部屋のある階まで上がり、部屋番号を確かめるまでもなく自宅まで辿り着く。そしていつも通り肩から提げた鞄から鍵を取り出し、カチャリと音がなるまで回し、ノブに手を伸ばした。
「……あれ?開かないな」
ところが、ドアノブを捻って手前に引いても、開くことは無く。確かな抵抗のみが返ってきた。
試しに鍵をもう一度差し入れ、捻ってから再度ドアノブを捻る。と、今度はすんなりと抵抗なく扉は開いた。
「参ったな……鍵閉め忘れて出かけてたのかも。ちゃんと閉めたと思ったんだけどな……」
頭を捻りつつ鍵を鞄にしまい、後ろ手に戸をしめた。―――だが、廊下の電気を手探りで点けたとき、思考が一瞬停止した。
―――違和感がある。
いつもの見慣れた自宅なのは間違いないが、そこには自分以外の誰かの気配があった。
(まさか……泥棒か?どうしよう、包丁とか持っていたら不味いよな……)
耳を澄ませば、居間の方角から何やら物音まで聞こえてくる。間違いない、自分以外の誰かが、この家に現在進行形で侵入している。
武器になる物は何か無いのか、自分の手荷物を漁ってみるが、取り合えず帰りに買ってきた大根くらいしか思いつかない。
包丁と大根、悲しいくらいに勝ち目はなさそうだが、台所までいくには、立て付けの悪い引き戸を開ける必要がある。物音でこちらの存在がバレてしまえば即エンカウントでバトル開始もありえるだろう。
「クソ、なんで自分の家なのにコソコソと……っ!!」
ゆっくりとした足並みで、居間へ続く扉の前まで歩き、気配を伺う。
が、唐突に何の前触れもなくいきなり、その戸は開かれた。
心臓が止まりそうなくらいに驚いた。全身が一気に強張り、肺から押し出された空気が、奇妙な叫び声となって飛び出していく。
「うひょぇわぁぁあっ! だっ、誰だ!!」
「ひゃぁっ、何!? …………ってなんだアキラじゃない、ビックリさせないでよ。おかえりー」
「え、あれ……ね、姉さん?」
みっともない醜態を晒す家の主を出迎えたのは。実家で両親と一緒に暮らしているはずの、ホットパンツにタンクトップという、限りなく身軽な格好をした姉の姿だった。
「おろ、なんで大根なんか持ってんの?」
ぽきりと音をたて、大根が折れた。
「それじゃあ何? アンタ私が泥棒だと勘違いしてビクビクしてたの? 大根もって?」
「うるせぇな……誰もいないはずの自分の家に、他人が入り込んでたら普通ビビるだろ」
「あーっはっはっはっはっはっは!!」
こっちの言い分をまったく聞こうとせず、テーブルをばんばんと叩いて爆笑し続ける姉。果てはクッションに顔を埋めて笑いを堪えようとしていたが、全く堪えられていなかった。
ふるふると肩を震わせ、恥辱になんとか堪えて笑いが収まるのをじっと待つ。結果30分ほど姉は笑い続け、ようやく話せる程度には収まってくれた。
「まず聞きたいんだけど、どうやって家に入ったのさ」
「えーと、大家さんに姉だって言ったら開けてくれたよ」
「うわ、またそんなベタな手がよく通じたなぁ……」
夏も過ぎてまだ間もない季節、一つしかない扇風機を抱きかかえるようにして姉に占領され、仕方なくエアコンのリモコンに手を伸ばす。
設定温度をやや低めに設定して、次の疑問を口にした。
「じゃあ、なんでいきなり俺の家に来たのさ、家出でもした?」
「そんなんじゃないわよ。可愛い弟が元気でやってるか見に来てやったんじゃないのー」
「大方、親父とまた喧嘩でもして飛び出してきたんじゃないのか……」
「ち、違うわよー」
あたりめを咥えながら、そっぽを向くようにして目を逸らす。適当に言ってみただけだったのだが、どうやら当たっていたらしい。
「まったく、しょうがないなぁ…………今日泊まってくつもり?」
「おう、あたぼーよ」
そういって、姉は満面の笑みでVサインをした。
夕食を終えて、片づけを済ませた後。姉の姿が見えないことに気がつく。
「あれ、姉さんどこに行ったんだろう……」
居間兼寝室にも、トイレや風呂に入っている様子も無い。
ふと見回すと、ベランダの戸のカーテンが揺れていた。どうやらベランダにいるようだ。
カーテンを除けるようにしてベランダを覗いてみると、サッシにもたれかかる様にして姉は夜空を見上げていた。
「姉さん、何やってんのさ……窓開けっ放しだと冷房が……」
「こっちの夜は明るいねぇ」
「え? ああ……まぁ、夜も明りが耐えない所が多いからね」
「だからホラ、星が全然無いよ?」
「え、でも探せばいくつかは……」
と、姉の隣に並んで同じく夜空を見上げた。夜空を見上げたのなんて、子供の頃以来だろうか……。
何故か、あまり綺麗だとは思わなかった。
「確かに、少ないな……」
「こっちじゃ、晴れてる日は夜空一杯に星があるよ」
「そっか。そうだったよな……」
記憶の中に微かに残る、満点の星空。そういえば、星座の名前や七夕の話を、星空を見上げて姉に教えてもらったんだよな……。
「なんだか寂しいなー」
「明日、姉さん送っていくついでに帰ってみようかな……」
「ねー、いつまでベランダにいるのさー。ほら、もう寝ようよ。いつまでも星なんか見てないでさー」
「……俺の感傷はほったらかしかよ」
―完―