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 そんな会話の最中、リセリアの後ろで蠢く陰。どうやら、まだしぶとく息をしているらしい。そのことに気付いたリセリアは、バッと相手のほうへ向き直る。


「ッ……もういいわ、とにかくこの場から彼女たちと一緒に速やかに離れなさい! いいわね!!」

 そしてこれ以上構ってはいられないといった様子でそう叫ぶリセリア。しかし朱音は、断固として自分の意思を変えるつもりは無かった。

「断る!!!」
「いい加減に……!!」

 


「ここで逃げたら!!     私は……一生あの人に追いつけない」

 

 


 リセリアの言葉を遮り、真剣な表情でそういう朱音からは、どこか寂しさと呼べるものが伝わってくる。朱音のその言葉の意味を捉えられたのは、従姉である雅美と、同じ戦地に立っているリセリアだけだった。

(あっ君……)

 驚きながらも、そのことを最初から知っていたように、苦しげに目を細める雅美。

(馬鹿ね……あいつはもう死んだというのに……死んでしまった人間に辿り着く事なんて出来はしないのに……)

 嘘偽りの無い、彼女のその言葉に、哀れむかのようにそう思う一方、その振る舞いがある人物と重なって見えてしまうリセリア。

 

 

「あの子……邪魔ね」

 先程まで、ただ無言で見下ろしていたローブの魔術師が、ポツリとそんな事を呟く。

「人質をむざむざ殺されて、悔しがるあいつの顔が見たいのに……何時までたっても見れないじゃない」

 冷たく見下ろす瞳からは、人が持つ熱というものが感じられず、また彼女の口から吐かれた言葉は感情の篭っていない無機質な存在だった。

 だからこそ、恐怖感が煽られるのだ。
             
 彼女の人差し指にポウッと金色の光りが現れると、不意にノートに何かを書き写すかのように、宙に文字を書いていき。それに合わせるが如く、何かを口ずさむ。宙に描かれた魔術文字の光りは消えことなく線になり、美しくその場に残っていた。

 しかし、彼女のその言葉は魔の囁きだった。従僕である下界にいる魔物の闘争心をより一層深め、目の前にいる敵を排除するためのスイッチ。

 彼女の契約が発動したのがきっかけになり、朱音の傍で倒れこんでいた魔物の身体がピクリと反応を示す。無防備な頭部への打撃が効いていたのか、脳震盪に近い症状が現れたていたらしい魔物だったが、契約発動を合図にされ、任務遂行への念波と魔力によって胎動を始めたのだった。この魔物にとっては、ギリギリのラインで保たれていた生命維持の力を、発動によって消耗されるのは目に見えていた。勿論、上空にいる仮初の主人も、そんな事は百も承知なのだ。もとより殺すはずだった命を、気まぐれでここまで生かして戦わせている。この戦いを下界にいる魔物が勝とうが負けようが、そのあと死ぬのには変わりない。

「邪魔者を早々に片付けて頂戴ね」

 彼女の薄く笑う。言霊にも似たその言葉が、魔物を立ち上がらせるのには十分な力を持っていた。その瞬間、白目を向いて倒れていた魔物の意識が覚醒する。ギョロリと目玉を動かし、視線の先にいる敵へとその殺気を向ける。

 その殺気にいち早く気付いた朱音は、傍らに倒れこんでいる魔物に素早く視線を移す。ギラギラと赤く光る瞳と視線が衝突した瞬間、俊敏な動きで起き上がると、長い舌と剥き出した歯を突き出しながら、唸り声と共に朱音に飛び掛かり腕を振りぬく。

グルァァアアアアアア!!!

 その攻撃を敏感な五感で捉え、後ろに飛び退いて避ける朱音。魔物の鋭利な爪が光る攻撃をかわした朱音が立っていた場所は、魔物の切り裂くような攻撃で地面には抉れた様な爪あとが残る。

 いくらか距離をとりつつ体制を整えながらも、相手から決して視線を逸らさない朱音。この手の魔物は、迂闊に隙を見せれば自慢の鍵爪で一瞬にあの世へと送られてしまうだろう。チラリと、魔物の先にあるフォアル先生の愛刀に視線を向けるが、魔物の攻撃を避けつつあそこまで辿り着くのはかなり難しい。一発でも食らえばかすり傷程度では済まされないのだから。元々勝てる見込みなんて全く無い戦闘だ。朱音が今一番すべき事は、ただの『時間稼ぎ』。リセリアが片方の魔物を倒すまでの、彼女たちの防衛ラインになりこの魔物を引き付けておけばいいのだが、武器が無いのはいささか、いや正直言ってかなり辛い。

 そんな事はお構い無しに猛進してくる魔物に対して、あまり役立つ事はない攻撃の構えをみせる朱音。背中にはジットリと嫌な汗が伝う。

(クソ……どうすりゃいい……)

 苦虫を噛み潰したような顔つきで悪態を付き、縮まる魔物との距離を把握していた朱音。しかし、そんな朱音の視界の隅に、一筋の影のようなものが走った。その影は、魔物に向けられて放たれたらしく、貫くが如く勢いで標的目掛けて飛んでいった。しかし、先程よりも鋭さと敏捷さを増した魔物の身体能力によって、間一髪のところで避けられてしまい、影は朱音の目の前に突き刺さった。突然の出来事に狼狽の色を隠せない朱音であったが、地面に深々と突き刺ささったそれに視線を移した。そこには、一本の大剣と言えるほどの大きさの剣。使い勝手が悪いというほどでかいわけでもなく、刀身の幅の広さがそれなりにあるせいか大きく感じてしまうのだろう。シンプルな作りの割には品のよさを感じるその剣に、朱音は微かだが見覚えがある。

 そして不意に、編入初日で間近で見たリセリアの魔術を思い出す。その魔術で、授業が終わるまで追い掛け回されたのだから、忘れるはずも無い。
 どこか確信を持った様子で、リセリアのほうへと顔を向ける朱音。しかし、リセリアは、朱音に背を向けたままだ。目の前にいる魔物の事を考えれば、それが普通の事なのだけれど、朱音にはそれとは別にどこか照れているようにも見えた。

 


「貸すわ」


「だから……私が行くまで、その二人を守りきりなさい。譲れない信念があるならば」

 


 背中越しに言われたその言葉に、一瞬驚いたように呆けた朱音。

 しかし、その言葉に誰よりも衝撃が襲ったのは、得意げに上空から見下ろしていた、ローブの魔術師だった。

 フードが邪魔をして見えないが、その魔術師が初めて見せた屈辱の色。眼下にいる少女を睨み付けながら、彼女はギリリと口元を歪ませる。

「そんな……矮小な奴に期待をするなんて、《グランギニル》と恐れられた貴方はもういないようね」

 落胆と怒り入り混じった言葉を、彼女は吐き捨てるかのように呟くとそれ以上言葉を発する事はなかった。

 

 

 


 その朱音の姿を見ていた雅美達は、彼女がこちらへ戻ってくる事だけを祈る。

「無理よ。……諦めて、帰ってきなさいよ!!」

 今にも走り出さん勢いで言うアリアに、ロザリィは言葉が思いつかずに苦心を露にしながら、戦況のほうへと視線を移す。その傍らで嗚咽を漏らすミリアに、寄り添うようにして支えなだめるレイリス。雅美は、その場に膝をついたまま座り込み、ピクリとも動こうとしない。 

しかし、そんなアリアの言葉も空しく、朱音は腹を据えたかのように自分が今対峙すべき相手に向き直る

「何でよ……あんた死んでもいいの!?」

勝てる見込みも無いのに、向かえば死ぬかもしれないのに、それなのにどうして彼女は引くことをしないのだろうか。そんなアリアの怒りとは違うどこか悲痛な声色に、反応したのは、朱音ではなく……

「死なないもん……」

 涙声だが、しっかりと芯の通った声ははっきりと言い放った。ペタンと地面に座り込んだ人物は、いつの間にか地面ではなくアリアを見ていた。そして続ける。

「あっ君はあんな魔物なんかに絶対に負けない」

 その真剣な眼差しに、珍しくアリアは反論できずに押し黙ってしまう。それは、周りに居た他の者も、彼女のその言葉に驚きと放心の色を浮かべていた。

「ゴキブリ並みの生命力を持ったあっ君が、あんな化け物ごときに負けるわけないもん!!」

(そんな馬鹿でかい声でゴキブリって……私をどういう目で見てんだよ)

 さっきまでの感動の台詞はどこへ行ったのやら、朱音は後ろから聞こえる幼馴染の声に落胆しつつも苦笑いを浮かべる。周りにいた仲間も、その言葉はちょっと……といったような感じに、顔色を変える。しかし、どこか重々しい雰囲気は影を潜めてしまった。

(だけどまぁ……さっきよりかは気のせいかやれる気がしてきたな……不思議と)

 その空気を肌で感じ取ったのか、朱音は微かに口元を緩める。多少なりとも自信が湧いた。今の危機を脱せるほどの力量が、今の自分に足りているかどうかはこの際気にしないでおく。何よりも、彼女達に分けてもらった自信を崩すような無粋な真似はしたくない。

 スゥと息を吸い込むと、朱音は後ろにいる彼女達に向かって背を向けたまま叫ぶ。

「出来るだけ頑張るから……帰ったらクッキーと茶を頼む!出来るだけ上等なやつで!!」

 頼りなさげな言葉。しかし、それはどうにも朱音らしさが滲み出ている。こんな時、必ず勝つとかありきたりな決め台詞を決められるほどの自信があるわけでもなし、朱音にとってはその言葉が最初に浮かんだ言葉なのだろう。そして、その返答を待たずに、朱音と魔物の戦闘は開始された。その時、後ろから自分の名前を呼ぶ叫びが聞こえたが、走り始めた足は止まる事は無い。

 

 

 

 


息を荒げてこちらを威嚇する魔物をしっかりと見据え、朱音は走り出す。

 (次は私が攻める番だ!!)

 動き出した朱音に合わせるかのように、魔物も彼女目掛けて駆ける。地面に突き刺さった剣を引き抜き、失速することなくスピードを保つ朱音。
黒い獣と白い人が衝突する。先に攻撃を仕掛けたのは―――
黒い獣だ。大きく振りかぶり、その爪と豪腕にものを言わせた破壊力が朱音に襲い掛かる。しかし、朱音はそれを寸前のところで避け、そのまま魔物に大剣を切り上げるが、魔物も危機を察したのか絶妙のタイミングで後ろへと飛び退いた。その時僅かに生じた魔物の隙を朱音は見逃さない。素早く接近し相手の懐に潜り込み、大剣を振り下ろす。が、咄嗟に身体の重心を後ろへと引く魔物。朱音の斬撃は魔物の胸元を掠めるが、その程度では傷の一つに入らない。

 だが、相手の隙を増やすのには十分すぎる攻撃。朱音は振り下ろした刀の動作から素早く斬撃を繰り出す。身体を捻り回転するように大剣を相手に向かって薙ぎ払う。その瞬間に鈍くもあり鋭い感触が柄を握る手に伝わった。先程よりも重く、それでいて確かな感触。そして、大剣から重みという抵抗なくなった時、魔物と朱音との間で鮮血が飛び散った。鮮やかな赤が宙を舞う。

 ボトリと音を立てて落ちる鋭利な爪が光る毛むくじゃらの手首は、切断面を露にしながら地に落ちた。その瞬間苦痛を帯びた叫びはが木霊する。

 続けて攻撃の主力になるだろう右腕に狙いを定めようと体制を立て直そうとする朱音。しかし、その朱音よりも早く痛みより覚醒した魔物の鋭い一撃が繰り出される。
 身体の一部を切断されたのにもかかわらず、魔物はその痛みを遙かに凌駕する何かが突き動かされていた。元より低かったと言えども、理性と感情は上空にいる魔女によって根こそぎ砕かれ、魔女の意思一つで動く紛い物の身体には痛みで止められるものなど何一つ無かったのだ。

(早い!!)

 素早く大剣を盾に防御に転じる。ガシャンと一際大きな鉄の音と共に魔物一撃は剣に直撃する。その一撃は重く、剣を手にしている朱音の手にはビリビリとした感覚が流れていく。

 余りの衝撃に、踏ん張りを効かしていた足が地面から呆気なく離れ、数メートル先までその衝撃によって弾き飛ばされてしまった。何とか地面に崩れ落ちないよう、再度地に足をつけその場に踏み止まるも、魔物との距離は思っていたよりも離れてしまう。

 荒い息が耳に届く。自分の呼吸なのだから、届いて当たり前なのだが妙に癇に障った。額やら背中には嫌な汗が噴出すが、それが酷く寒く感じる。先程の数分とない戦闘だけでこの様なのが情けない。このままの状況がいつまで続くのかと思うと、酷く嫌な想像が頭を駆け巡る。これが死と隣り合わせの状況と言う奴のなのだろうか。
 ビリビリと麻痺したように震える両手に一瞬視線を落とした。あの攻撃が直撃していたらと思うとゾッとする。少なくとも、身体のどこかは一緒に持っていかれていたのは確かだった。

 そして……

 窺うように先に居る魔物を見る。自分よりも深手を負っているはずの魔物の脅威。フーッフーッと獣臭い乱れた息を吐きながら、殺気立ったギラついた瞳でこちらを見ている。切り落とされた瞬間の瞳には傷みと言う色が浮かんでいたが、今はその色が消え去ってしまったかのように感じ取れない。ただその瞳から感じ取れるのは、目の前に立つ敵を食い殺す事だけに執着している様子だけだ。それが逆に恐怖感を煽る。アレはもう、魔物でもなく獣でもない、ただの化け物だ。逃げると言う行為すら知らず、首だけになっても自分の喉下に食いついてくる。

 荒い呼吸を整えるように、ゆっくりと肺にある空気を吐きそして吸い込む。二、三度その行為を繰り返し、携えている大剣の柄を握りなおす。深呼吸すれば落ち着くというのは、やはり迷信らしい。ジットリと背中と額に垂れる汗は一向に引く様子はないし、脈打つ心臓は緊張に合わせるかのように酷くなっていく。まぁ、このまま動悸が収まっていって最後は止まってしまいました、何て最後よりは随分マシだろうと勝手に解釈する。
 冗談を言っている余裕は勿論ない、だがそう思えなければ見えない圧迫によって内から押しつぶされてしまう。

 (……来る)

 ジリジリと高まっていく魔物の殺気に、朱音はより一層構えを硬くする。そして次の瞬間、バネが弾けたように魔物が走り出す。そのスピードは時を刻む毎に速くなり、燃料を燃やし続けるエンジンのように速度を上げていく。それなりに離れた距離を一瞬で詰められ、襲うは強靭な魔物の右腕。ギラつく爪が自分に向けて迫る。まともに受けては先程と同じように弾き飛ばされてしまうだろう。

(ぐっ……重い!)

 となれば、方法は今持ちうる力で相手の攻撃を何とか受け流がしつつ、時間を稼ぐしかない。しかし、大剣で魔物の攻撃を逸らそうとするも、相手の腕力が強いせいか、吹き飛ばされはしないものの腕には衝撃が伝わる。痺れたような感覚の腕が通常通りの動きが出来るはずも無く、敵の攻撃を逸らせはしたが攻撃に転じる事が出来ない。つまり、防戦一方がほぼ確定した事になる。続く魔物の攻撃にも辛うじて対処するも、衝撃が蓄積されるのは止むおえない。

(このままじゃ……)

 悪態をつくが、この状況が変わるわけも無く、繰り返される攻撃のラッシュは力を増していく。

(!!……しまった!?)

 そして、何度かの攻防の末、薙ぎ払うかのような魔物の攻撃を何とか防いだ朱音の体制が、限界が来たように崩れた。その姿に、一番驚いたのは誰でもなく剣を握る朱音自身だった。相手の力を完璧に逸らす事が出来ず、剣が弾かれる。ズルリと自分の手から離れていき、後に残るはジンとした痺れと痛み。

 その時、朱音の目に映ったのは、弾かれ地面を滑る剣ではなく、自分へと突き出される魔物の鋭利な爪。下から上へと振り上げるような攻撃に、朱音の身体は反射的に後ろへと飛びのこうとするが一足遅く。魔物の爪は朱音の左肩を切り裂く。次に見たのは、自分の最悪の状況をあざ笑うかのように広がる快晴と、その青空を汚すような染みを作る、空に浮かぶ鳥か人かもわからない黒色の何かだった。

 背中を襲う衝撃は、自分が倒れた事を意味していた。背中の痛みに顔を顰めながら、朱音は薄く目を開ける。そこにあるのは、先程目に飛び込んできた快晴と黒い何かだが、フィルターが掛かっているようにはっきりと視認出来ない。どうやら眩暈を起こしているらしい。そして、一番気になるのは肩に感じる違和感。嫌な予感がするも、確認ついでに左肩にチラリと視線を移す。制服の肩口は身に付けた皮製の簡易防具ごと引き裂かれ、真っ赤に染め上げられている。不思議な事に、痛みは殆ど無いものの、その部分だけ火あぶりにされているかのように熱い。肩を中心に広がる血液は制服だけではなく、倒れこんでいる地面にも広がっていた。どうやらかなり深く抉られたらしい。

 倒れこんだまま動けないでいる朱音の耳に、ジャリと砂を掻く様な音が聞こえる。考える必要すら無いが、どうやら止めを刺しに来たらしい。最後の抵抗とばかりに、負傷した左肩を抑えながら無理やり上半身だけでも引きずり起こす朱音。ゆっくりともったいぶるかのように近付いて来るソレを見やって、これでもかと言うほどきつく睨みつけてやるものの、顔には玉の様な汗が滲んでいて、それがただの苦し紛れだということが誰から見ても明らかだった。

 ダランと力無く下がった腕からは、肩からの出血が伝い、指先から紅い雫が数的滴り落ちる。その血に誘われるかのように、黒い魔物はびっしりと並ぶ牙を垣間見せ、中からは長い舌が口からずり落ちている。その表情は、邪魔者をいいように料理できると喜んでいるようにも見えた。

 靄が掛かったように呆然とする頭と、今にもどこかへ飛んでしまいそうになる意識を必至に繋ぎとめる朱音。その目の前には、屈強な体躯と吐き気がする程歪んだ殺意を携えた、黒い死神が立っていた。
 そして先程朱音に傷を負わせたその爪を、高々と上げ目前に居る敵の頭に向かって振り下ろす。

 

流石に……これ喰らったら、死んじまうだろうな……


 呆然とした頭だけに、それはどこか他人に言うような台詞。そして確実に、自分の身に起こる出来事。

 その恐怖からか、その時、朱音は頑なに目をつぶる。

 

 だから、何時まで経っても訪れない痛みと死に、微かに目を開けた時に広がった光景が現実とは思えなかった。

 

 何本もの剣で串刺しになっている魔物の姿なんてものに。

 


 飛びそうになる意識が急速に冴始め、朱音は目を見張る。こと切れているのか、それともまだ意識があるのか、魔物はフラフラとバランスの悪い動きをしたかと思うと、その場に音を立てて倒れた。幾つもの剣が突き刺さった身体からは血が溢れ出し、血溜まりを作っていく。実に、呆気ない最期だったと思う。自分が呆気なく殺されそうになったと同様に、この魔物の最期も実に呆気ないものだったと。

 

「無事……ではないみたいね」

 

 棘のある、よく言えば落ち着きのある、上空から投げかけられる言葉。朱音はゆっくりと声のするほうを向く。そこには、いつものポーカーフェイスの魔術師が佇んでいた。

 

 その顔と声に安心したのか、朱音は力なくその場に倒れこみ、程なくして安らかな寝息が聞こえてきた。

 朱音の意識が深いまどろみに消える時、最後に聞こえたのは、思ったよりも上機嫌そうな「ギリギリ合格」という嫌味な言葉だった。



 上空より、その終末を見終えた黒幕は、さほど慌てる様子も無く、相変わらずの異質な空気を纏ったまま眼下の少女達に視線を落としたままだった。

 しかし、そのフードの下にある笑みは、先程とは一変して満足そうである。

「まぁ、いいわ……今回は様子見よ」

 そう言うと、ローブの魔術師はその場から一瞬のうちに姿を消した。見渡すか限りの青空に、彼女の姿はどこにも無い。

 その空の下、何も知らない少女達の声は戻ってきた平和を愛しむかのように飛び交っていた。

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1986/10/31
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