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 前代未聞のモンスター襲来事件のせいで、午後の授業は全学年停止。明日からの授業再開も、安全が確保されない場合は中止と決定した。全学年の生徒は、その事実を伝えられ焦りと驚愕の色を隠せず、現状はパニックというか騒然としていた。危険を言い渡された彼女達の行動は内心慌てながらも早く。通常ならば、午後の授業中である現在、特例として許可されている数人の生徒と教師以外は、早々に帰路に着いていた。

 そんな静まり返った学院内の院長室には、険悪なムードを漂わす一人の老人と少女の姿があった。いつものおちゃらけた雰囲気を影に潜めた立派な白髭の老人と、幼さが残る顔立ちと未発達の体格では現せない意志の強さが際立つ、銀髪の少女は、顔色から分かるとおりかなり不機嫌そうだ。

「リセリア、お前さんの言うとおり、侵入者がいたのは確かなようだ。あるいは、裏切り者がの」

 歳を感じさせない威厳のある口調に織り交ぜられた緊張感。黒皮のソファに腰かけることは無く、壁にもたれかかる様にしてリセリアは視線を地に向けその言葉を静かに聞いていた。
 あの事件後、駆けつけてきた教員と学院長に、リセリアは事の経緯を告げ、学院長と共にサバイバルエリアの障壁の確認のため足を運んだところ、一部ぽっかりと壊されているのを発見した。やはり、あの魔物が通常よりも強力だったのは認めるが、強力な魔法障壁を破ることは出来ないと学院長である宇治源太郎も言っている。とすれば、侵入者、もしくは裏切り者がいた事実はほぼ確定と言う事だ。
 皺だらけの顔をより一層深めた学院長の顔色は、より不快気に見えた。黒檀の艶やかな机には、乱雑に書類の山が積み重なっている。その山を押し退ける様に僅かなスペースを作り、学院長は椅子に座りながら、コトリと湯飲みを置くとそれきり黙り込んでしまう。中身の殆ど減っていない湯飲みに視線を移したリセリアが代わりに口を開いた。

「えぇ、それも、かなりの実力者がね」
「……まだ、相手の目的と正体すら掴めておらんが、嫌な予感がするのぉ」

 リセリアの言葉に、一拍置いて、学院長は思案をあれこれと巡らせながら呟く。

「そう言えば、あやつの容態はどうじゃ?随分と出血が酷いようじゃったが?」

 心なしか、先程より少し落ち着かない様子で聞いてくる学院長に、リセリアはあぁ、と言葉を漏らしながら、何事も無かったように答える。

「出血が多かっただけで、傷は思ったよりも浅かったわ。今大事をとって、シェリス先生がいる保健室で寝かせているし、そろそろ起きる頃じゃない?」
「とにかく、色々と調べるのは貴方に任せるわ。何か掴めたら報告をお願い」
「ふむ……今日はお主のお陰で被害も最小限ですんだ。礼を言うぞ」

 それだけ言うと、リセリアはさっさとドアへと向かう。その後姿に、学院長は心からの礼を言う。彼女のお陰で、死人を出す事は無かったのだから。

「違うわよ。少なくとも、あの馬鹿があそこまで粘らなかったら、最悪あの二人は確実に死んでいたわ」

 ドアノブを回しながらそっけなく言うと、リセリアは学院長の返事を待たずに院長室を後にした。重みのあるドアがパタリと音を立てて閉まると、いよいよこの空間には学院長一人だけになってしまった。リセリアが出て行ったドアを見つめていた学院長が、フッと笑みを零しながら、誰に言うまでもなく囁く。

「随分昔にも聞いたことがある言葉じゃの……」

 

 

 

    ―――夢の世界―――

 

「なああぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!!!」

 暗闇の中、悲鳴をあげながら全力疾走で走る朱音。その後ろからは、何ものかの巨大な影。歩くたびに地響きが起こり、世界が揺れるのを感じる。

「ガオォオオ~!!」

 なんとも間抜けな声だが、今の朱音にとっては恐怖を駆り立たせる雄たけび。その怪物的大きさの化け物は外見はゴジ○そのものなのだが、顔は……雅美。

 


   ―――現実世界―――

「あっ君……」

 ベットの上で、辛そうに魘されている朱音の顔を心配そうに覗き込みながら、雅美は自分よりもひとまわりほど大きい朱音の手をギュッと握っていた。時々、朱音が余りにも辛そうな声を上げるので、身体を揺すって起こそうとするのだが、中々に目覚めない。薬品の匂いが漂う保健室で、連れ添った少女達が思い思いにベットに横たわる彼女を見つめる。

「なかなか、目覚めませんね」

 そろそろ起きてもいい頃ですのに……と、呟くロザリィは、心配そうに目を細める。

「大丈夫よ……レイリスちゃんの回復魔法で、肩の傷は治したわけだし」

 いつものように、明るくそう言ったつもりのアリアだが、その口調はどことなく不安そうでもある。少なからずも、心配はしているようだ。

「早く目覚めるといいですね」

 交友関係はないにしろ、目の前での死闘を見守っていたレイリスもやはり不安そうだ。いつものように、穏やかに浮かぶ笑顔がないことから、感じ取れる雰囲気。

「……」

 不安そうに呟く彼女達の中で、震える自分の手を握り締めるミリア。その瞳はベットに横たわる少女だけを見つめていた。
 微かに胸元が上下をするさまを見やりながらも、未だに胸を締める不安が消える事はなく、不意にその動きが止まってしまうのではないかと言う別の不安が襲い掛かる。そんなミリアの姿を、姉のアリアは隣で見守る事しかできないでいた。正直何と声を掛ければいいのか、姉であるアリアでも思い浮ばない。

 しかし、その彼女の押しつぶされるような不安も、事実朱音の見ている夢が分かればすべて吹き飛んでしまうのだが。

 

 大抵の接触を防ぐために設けられた、何とも保健室らしい純白のカーテンに囲われた部屋に、もう一つの影が加わる。この学院の保険医であり、豊富なバストと白衣が艶めいた色気を醸し出す変態……元い、シェリス=クレイアス。

「まだ……目覚めていないようね」

 一応確認のためにと覗いてみたものの、現状は何も変わらずベットに寝込んでいる朱音を目にして一つ軽い溜息を吐くと、シェリスは彼女の傍へと足を進ませる。彼女が目を覚ますのを今か今かと待ちわびるように、手を重ねる雅美の傍まで行くと、ベットの上で苦悶の声を上げる彼女に視線を移した。よほど嫌な思いをしたか、それとも嫌な夢を見ているか、苦しげに歪められるその顔を見ながら、シェリスは……

 興奮していた。

(あぁん、もうっ!! 何その苦しげな表情!? その何かに怯えたように引き攣った顔は!?)

 生徒の手前、叫びそうになる程上がりきったテンションを何とか堪えるシェリス。しかし、その顔は緩みきっており、涎でも流していたらそれこそ変態以外の何者としても見られない顔である。

(これじゃあ、生殺しもいいとこよ!! 今すぐ戸棚にしまってあるものを取ってきて……そして!!)
「先生……何かへんなこと考えていませんか」

 シェリスの不審さに気付いたのか、いつの間にかジド目で睨みながら冷ややかな視線を送っている雅美の言葉に、シェリスは一瞬のうちに妄想の淵から脱出し慌てて口を開く。

「そ、そんな事ないわよ……。えっと、見たところ顔色はそれほど悪くないし、貧血を起こしている可能性も少ないからもう少し待ってみましょう」

 そう言うと、逃げるようにその場から抜け出すシェリス。しかし、変態的な妄想しかしていないと思っていたら、それなりに業務はこなしている。これこそ熟練者ならではの仕事という事だろうか。
 逃げるシェリスの後姿を見送った雅美達は、また何時覚めるかも分からない朱音に視線を送る。今出来うる限りの精一杯の希望を込めて。

 

所変わって夢の世界では、逃亡も空しく、朱音は人面ゴジ○もどきの手中にいた。目の前には馬鹿でかい顔が広がっている。文字通り、握り締められスッポリと手の中に納まってしまっている。何とか顔だけは外に出ているのが幸いだが、傍から見れば生首に見えなくもない状態だ。生まれて初めて感じる最大の危機到来という瞬間。こんな時、正義の味方が颯爽と助けに来てくれるものだが、朱音の場合いつも颯爽と現れるのは自分を不幸にする死神のような連中ばかりなので、過度の期待はしてはいけない。

「離せー!!! 私なんか食っても美味くないぞ!!!!」

 精一杯の抵抗を首だけで表現する朱音。身体は握り締められていて動かしたくても全く動かないのだから、ささやかな抵抗を示そうとこうして首を左右に激しく振るくらいしか出来ない。間違って首を縦になんか振りでもしたら、何か大きな勘違いを起こした目の前の怪獣雅美に食われかねないからである。

「お饅頭みたいで美味しそう……」
「なぁああああ!!! そんな恍惚とした表情で私を見るなー!!! つーか、饅頭に見えるってどんだけお前の目は節穴なんだー!!!」

 大好物を目の前に出された子供のように、にこやかに笑う雅美に悪寒を感じた朱音は、絶叫しながらもツッコミを忘れない。

「それじゃあさっそく、いただきま~す」

 あ~んと、口を広げる雅美。そして、今にも食われる寸前の朱音。

「うわぁああああああああ!!! ふざけんなっ!!! タイム、タイ……!!!」

 問答無用で口内に放り込まれる朱音。

 

 

 

 

「あ゛あ゛ぁぁー!!!」

 ガバッと布団を押し退けるようにして起き上がる朱音。荒い呼吸と共に張り付くような嫌な汗が浮かぶ。もう少しで咀嚼された挙句、胃か腸のどちらかまで流し込まれた後、溶かされ分解されていたかもしれないのだから、この反応はむしろ普通なのかもしれない。

 いきなり叫び声を上げ、飛び起きた朱音の奇行に、周囲は唖然とした様子でその場の出来事を整理しようと必死になっているのが見て取れた。勿論、朱音の傍らで看護に熱を入れていた雅美が誰よりも驚いたはずだが、いかせん朱音が目覚めたという事実に対する喜びのほうが上回ったらしく、奇行のことに対して呆気に取られるよりも早くに朱音に飛びつく。

「あっ君!!よかった、よかった!!」
「あ゛あ゛ぁぁああああー!!!」

朱音の夢の事が無ければさぞ美しい人間ドラマかもしれないが、夢の中とはいえ追い回された挙句自分を食いかけた顔が目の前にあれば混乱もするであろう。ベットの上で朱音の首にしがみ付くように抱きつく雅美と、しがみ付かれ絶叫する朱音。

「心配したんだから!!! バカバカ!!!」
「あ゛あ゛ぁぁああああー!!!」

 薄っすらと涙を浮かべながらも、そう言う雅美の感動的な言葉も耳に入らないのか、変わらず恐怖の色を隠せずにガクガクと震え叫び続ける朱音。その時、ブチッと細糸が切れるような音がしたのは気のせいか。

「……」
「あ゛あ゛ぁぁ、ぐふぉっ!!!」  ドス!!!!!!

 突然の鈍い音と共に、朱音の絶叫が絶えたかと思うと、朱音はピクピクと痙攣を起こしながらベットに撃沈する。顔面蒼白で今にも泡を吹きそうなほどである。いや若干だが泡を吹いていた。

「もう心配させないでよ!! バカバカ!!」
「……」(ピクピク)

 痙攣してベットに再度倒れこんでいる朱音に抱きつきながら、雅美は変わらず涙目で訴えかけている。しかし、朱音からその返答が返ってくる事はない。

(さっきおもいっきり腹に拳入れたわよね)
(ここは見なかったことにしましょう)
(……)
(仲がいいんですね)
(クッ……羨ましいわ。私だってお腹に鞭を……)

 惨状に顔顰めるアリアに、触らぬ神に祟り無しといったように無かったことにするロザリィ。フルフルと肩を震わしながら怯えるミリアと、どこを見てそう判断したのか、ニコニコと笑み浮かべながら微笑ましげに二人を見るレイリス。そして、いつの間にか現れたシェリスは、やはり欲望にその身を焦がしていた。

 

 

 

「あー、もう少しで三途の川を渡り終えるところだった」

 痛みに疼く腹を押さえながら、ベットに腰掛けている朱音は、青い顔をしながら呟く。

「大丈夫?」
「お前のせいだわ!!!!」

 朱音の目の前に立ちながら、ニッコリと他人事のように言う雅美を半泣きで睨みつけながら叫ぶ朱音。そんな二人の様子を見ながら、やれやれといった感じで苦笑いを零すロザリィたち。

「たくっ、こっちは怪我人なんだからもっと丁重に……?」

 無意識に、魔物に切り裂かれた筈の左肩を、服の上から痛まない程度に触れた朱音は違和感を感じた。いや、違和感というよりもいつもと変わらないその正常さに驚いた。慌てて左肩に視線を落とすも、寝ている間に着替えさせてくれたのか、着ていた血みどろの制服ではなく真新しい白のワイシャツの布地が見える。微かにワイシャツから透けている肌には、傷のようなものも見当たらない上に痛みも先程から全くというほど感じない。

 朱音は、軽く肩口が見える程度にワイシャツを肌蹴させる。しかし、そこには健康的な傷一つ無い肌があるだけで、魔物が切り裂いたはずの傷はどこにも見当たらない。まるで最初から傷などなかったようにも思えるほどだ。しかし、あの時感じた肩を焼くような熱さと血の生暖かさが、幻覚などという事は決してない。
 傷があったであろう場所を見つめながら、不思議そうに首を捻る朱音。

「レイリスが治してくれたのよ」

 そんな朱音の疑問に答えるように、雅美は嬉しそうに笑いそう言うと、感謝しなさいよねと付け足す。

「レイ……リス?」

 どこかで聞いた事のある名前だなと思いつつ、記憶という名の引き出しを必死に開けていく朱音。引き出された記憶はどれも断片的な記憶ばかりで、不確かなものばかりだ。しかし、それも仕方のない事なのかもしれない。編入してからまともに話した事も無いクラスメートであり、ロザリィ達のようにいつも一緒にいるわけでもない。目が合ったら挨拶を交わす程度であり、言葉は交わさず会釈程度済ましていたのだから。苦手意識が働いていたわけでもなく、ただ単にきっかけが無かっただけなのだ、つい先程まで。

 雅美の拳撃の痛みのせいで、注意深く見ていなかったが、確かにいつもの顔ぶれの中に見られない人物の顔が合った。腰より長いストレートの黒髪と温かみのある微笑み。ミリアの横に立っていた彼女は、朱音と目が合うとニッコリと更に深く微笑んだ。

「傷は出来るだけ早急に治療しましたけど、痛みや違和感はありませんか?朱音様」
(何故に様付け!?)

 ゆっくりと、子供に言い聞かせているようにも思えるその言葉。丁寧だが、気品と言うか高貴な雰囲気が香水のように甘く漂っている。独特なレイリスの雰囲気に徐々に飲み込まれているように感じる朱音。そして、慣れない様付けに悪戦苦闘していた。同年代の、しかもクラスメートに様付けされたことなど今の今まで体験した事などないのだから、それはごく当たり前の反応かもしれない。雅美や、今までこの学院で育ってきたロザリィ達にとっては、呼ぶのも呼ばれるのも慣れているのかもしれないが、あだ名や呼び捨てが基本だった朱音にとって、その呼ばれ方はどうにもしっくりこないというか、むず痒く感じてしまう。

「あ……大丈夫です。ありがとうございます」

 そんな心情が言葉から滑り落ち、ぎこちない敬語として形を作ってしまう。そんな朱音の顔を見ながら、レイリスは勿論、雅美やロザリィ達まで顔を見合わせて笑う。

「あんたらしくないわね、同級生に敬語使うなんて。頭打ったんじゃないの!」

 人差し指で朱音の事を指しながら、ケタケタと笑うアリア。笑うならまだしも、人を指でさすな。失礼な奴だと内心憤慨しながらも、確かに今の自分の言葉はかなりおかしなイントネーションだったという自覚があるので、下手に反論できない朱音は顔を赤くして黙る。

 ひとしきり皆が笑い終わると、レイリスは変わらない笑顔を保ったまま改めて朱音の事を見つめ口を開いた。

「私、レイリス=フォン=シレスティアル……と申します。覚えていただければ光栄です。鬼宮朱音様」

 自然と零れ出る笑顔からは、作為は全く感じられない。その丁寧な口調と彼女の雰囲気が溶け込みすぎていて、先程から気にしていた様付けも二度目の今ではそれほど気に掛からなかった。

「ぁ……鬼宮、朱音です。よろしく……」

 改まった彼女の言葉に、朱音は苦笑いを浮かべて照れ隠しに頭を掻きながら、今度はいくらか砕けた言い方で挨拶を返した。そんな朱音の事を、いつの間にかジド目で見ている雅美。

「またロザリィの時見たく鼻の下伸ばしてる……」

 冷ややかに朱音の事を見下しながら、そう言い捨てる雅美。その言葉に、朱音はギョッとしたように視線を雅美に移すと、慌てて口を開いた。ロザリィはと言うと、微かに頬を朱色に染めながら、クスクスと笑っている。

「なっ!! お前大嘘ついてんな!!!」
「……」

 ツーンとそっぽを向く雅美に、身を乗り出し反論する朱音。

「おい!! 無視決め……!!」   

ぐぎゅるるるるぅ~~~~~~~~

 込むな!!と続けようとした時、盛大に鳴く腹の虫がその言葉を遮った。勿論、この時の朱音に誰も攻める事は出来ないだろう。遠慮もなく食欲に忠実な胃袋から発せられる間抜けな音は、隠す術もなく朱音の腹から鳴っていたのだから。
朱音は顔を真っ赤に染め、そして他一同は堪えきれずには腹を抱えて笑っていた。

 

 


「うめぇ!!ムグッ!!ムベェ!!」

栄養となる食事をがつがつと口に運びながら、聞き取りづらい言語を話す朱音。保健室から無事?生還した後、本人たっての要望で寮の食堂にて夕食をご馳走になっているところである。先程の事件の関係者と言っても過言ではない彼女たちの登場に、食堂内にいた生徒は一気に騒ぎ始めたが、そんな事はお構い無しに食事と取っている朱音の態度に、その場の熱は徐々に冷めていった。彼女たちもお嬢様の端くれ、幸せそうに食事をしている朱音に向かって血なまぐさい無粋な話を聞きに行くことは出来ないようだった。
 
「はいはい。おいしいのは分かったから食べながら喋らないの」

 先程の重苦しい雰囲気から開放されたせいか、食料にがっつく朱音以外の面々は、どこか安心した面持ちでそれを見守っている。朱音に向かって投げかけられる言葉に棘が少ないのも頷けるというものだ。

「~~~~♪」

 ここへ来てから大好物の類に入っているオムライス(それも今回は、サービスでビック版)を頬張りながら、無邪気に笑う朱音の姿は、先程の死闘を繰り広げていた鬼宮朱音本人なのかと問いただしたくなるほどのギャップがある。そんな疑問は、誰からともなく滑り出すのには、そう時間は掛からなかった。


「それにしても、あんた案外戦えるのね」

 食事中いつもとは違って、朱音に絡むこともなく静かに頬杖を付いていたアリアが問いかける。その言葉に、スプーンを加えながらキョトンとしている朱音。そんなアリアの言葉に触発されてか、テーブルを囲む皆からは一斉に疑問が飛び交った。

「そうですね。この間話を伺った時、以前居らした学校には、このアスガルド女学院のような体術や魔術の教科は一切なかったと、仰っていましたけど。その体術……というか、剣術はどこで習ったんですか?」

 まさか、いつもアリアや雅美にこっ酷くやられている朱音が、体術にあそこまで長けているなんて思いもよらなかったのだろうロザリィは、先ずは疑問に思っていたことを口に出す。

「あぁ、それは、鬼宮家の仕来りで剣術は幼い頃から習ってたから」
「仕来りって、あんたの家って女にも武術ならわせんの?珍しいわね」

 朱音は、さも普通にそう言うと、テーブルに置いてあった水の入ったコップを手に取り、ゴクゴクと口に流し込む。いつの間にか、通常の1.5倍はあるオムライスが跡形も無く消えていて、その皿に残るのはスプーンのみといった状況だ。幾らなんでも早すぎると思うが、あのスピードで食事を進めていればその事実がごく普通なことに思えてくる。

 そんな朱音の食欲にツッコミが入らないのは、今の話題に皆が興味を持っていると共に、アリアの声色がなんとく不快気に染められているせいでもあった。しかし、そんな中、ミリアだけは空になった皿と朱音を交互に、不思議そうに、且つ困ったように見つめている。心境を代弁すると(あれ?さっきまであんなに合ったのに?えっ……?)といった感じだ。しかし、この状況の中、そんな横槍を入れるわけには行かず、結局は不思議そうに見つめていることしか出来ないミリアだった。

「違うよ。本来は、次期当主は必然として、鬼宮家の男は剣術を習得するのは絶対だけど、女は基本的に家事、作法なんかを学ぶ。けど、中には符術や陰陽術なんかを習うついでに、武術を嗜む人もいるけどね」
「じゃあ、あんたも符術や陰陽術?ってやつを使えるの?」

 朱音たちが生まれ育ってきた国の人々には精通するその言葉は、アリア達にとっては未知との対面だろう。比較的魔術や錬金術といった類は有名であり、それらを応用した日用品が復旧するに至るまで常識と浸透している。しかし、符術や陰陽術の類を扱えるものは少なく、その血を引くものも少ない。つまり、希少種、言い換えればレアなのだ。それとは逆に、魔術は一般的に広く知られ、ほとんどの国での認知度は高い。だから、アリア達が符術や陰陽術に対しての知識がないのは、それはおかしいことではなくむしろ普通だろう。

 しかし、レアとは言うものの、魔術より何倍も強いというわけでもなく、弱いわけでもない。魔術ともっとも違うところは、触媒自体(御札や武器)が強く力を宿しているというところか。つまり、使う者自身の力が弱かったとしても、力の大部分を触媒に頼るため、出力を安定させて戦うことが出来るのだ。そして、術者の力が弱くても札が強ければ攻撃も強いという事。触媒に使用する御札等も、普段から作り置ける。一つ決定的な難点があるとすれば、持てる数に限りがあること。即ち、弾切れがあるという事だ。魔術のように休めばエネルギーが回復されるといったものではないので、使い捨てという形になってしまう。扱いやすそうで、扱いづらい、気難しい術だと朱音は思う。

「使えないよ。そういうのに長けているのはコイツ」

 軽く親指で雅美の事を指しながら、もう片方の手ではメニューを掴む朱音。どうやらまだ食べる気でいるようだ。底なし胃袋というのはこういうやつの事を言うのだろう。アリアは、そんな朱音の返答に片方の眉を吊り上げながら、何かを考えていた。

「まだ食うか!!」
「あ~~~~~」

 メニューに気を取られている朱音の一瞬の隙を付き、隣に座っていた雅美は朱音からメニューを引っ手繰る。すがり付くようにメニューを取り返そうとする朱音を食い止めながら、雅美は隣にいるロザリィに素早くメニューを回した。ロザリィは雅美の意図を察知し、苦笑いを浮かべながら速やかにウエイトレスを呼ぶと、朱音にメニューが渡る前に下げさせる。食事は腹八分目、それ以上はあまり身体に良くないこともあるし、今の朱音をほっといたら何時までも食べ続けるだろう。多少強引だが、これぐらいが丁度いいのかもしれない。

「あ~~~~~~~~~」

 ウエイトレスの手で運ばれていくメニューを恋しそうに見ながら、朱音は情けない声を上げている。

「気になったんだけどさ、何であんたが剣術習う必要があんの?」

 今まで、何かを考えながらテーブルを見つめていたアリアが、朱音に視線を移しながら口を開く。先程から聞いている事と、朱音が剣術を習っていることが上手い具合に噛み合わないのが気になったらしい。

「あ~~~~~?」
「聞けよ。だから、何であんたが剣術を習う必要があるのって聞いてるの」
「だから仕来りだってば」

 メニューが消えて行った厨房を見てテーブルに突っ伏しながら悲しみに耽っていた朱音は、アリアのその言葉を聞いていなかったのか、もう一度聞き返す。そんな朱音に対して、アリアは呆れながらも再度同じ事を尋ねた。ここでいつものように殴りかからなかったのは、アリアがいくらか成長したという現われなのか、単に面倒くさかっただけなのか。アリアの問いに、朱音は半ばやけくそに答えながらテーブルから顔を離した。

「だって、あんた一応女なんだから、わざわざ剣術習わなくてもいいんでしょ?」

 アリアのその言葉に対して、別に怒りを感じたわけではなかったのだが、昔の嫌な過去やら親戚会議での居心地の悪さの原因を思い出したせいか、無意識に顔が歪む朱音。勿論、アリアには悪意はないだろうその言葉は、自分がここへ来させられた理由を再度思い出させられる。

「アリア、誰にだって言いたく……」

 朱音のその表情から何かを感じ取ったのか、その場の仲介役を買って出たロザリィは、アリアに諭すように言葉を投げかけるが、庇おうとした朱音の言葉によって遮られる。

 


「だから、さっき言っただろ。当主が習うのは必然だって。まぁ、まだ次期だけどな」

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1986/10/31
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