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 修行の地へと足を進ませる中、アリアはふとロザリィの顔を見る。昨夜より幾分かは優れた顔色に安心しつつも、微かに腫れぼったい目にチクリと胸が痛む。何かを振り払うようにアリアは軽く頭を振ると、視線はある人物に向けられた。相も変わらずからかわれて、ムスっとした顔つきの鬼宮朱音。こいつが来てからというもの、周囲の人間は徐々に変化を見せ始めている。

 

 その事は、今朝のミリアの言葉によって思い知らされたばかりだった。昨夜、ロザリィの部屋に寄った後、アリアはその足で、先に部屋へと戻った妹のところへと向かった。ノックもなしに、アリアは見知ったる部屋へと足を伸ばしたが、そこにはベットに横たわりながら安らかな寝息を漏らす妹の姿。あんまりにも心地よさそうに寝ていたので、起こすことも出来ないまま、静かに布団を掛けなおしてやる。

 しかし、このまま部屋を出て行くにしても、鍵を掛けないで行くにはあまりにも無用心すぎる。どうしたものかと考えるアリアだったが、リセリアの情報によれば明日は学院が休み、という事で、自分が泊まれば良いじゃないという結論に達して、結局ミリアのベットに潜り込んだ。図々しくも下着と風呂を拝借して。

 そして早朝、可愛い妹の叫び声で目を覚ました。確かに断りも無く泊まったのは悪いと思うが、そこまで叫ぶことでもないじゃない。重たい瞼を擦りながらミリアへと眼を向ければ、顔を真っ赤にしながらパクパクと金魚のように口を開閉して自分の事を指差していた。寝ぼけた頭を掻きながら、自分の身体へとゆるゆると視線を下げてみる。見事に、下着だけ。「何よ、裸じゃないだけ良いでしょ」と言えば、ミリアは真っ赤な顔を更に赤くして「そっそれ!! 私の下着!!」と絶叫に近い声で叫んでいた。

 着替えを手早く終えて、向き合うようにと腰を下ろすと、ミリアはコーヒーを私の前に置く。いつも以上に沸騰させたお湯を使った熱々コーヒーだ。因みに私は猫舌。どうやらミリアのささやかな復讐らしい。そんな私の目の前で、ミリアはシロップと牛乳を程よく注いで掻き混ぜている。ブラック派の私には到底出来ない行為だ。

 コーヒーを飲むことが出来ないので、することも無くミリアを見つめていた私と彼女の目が合ったのは、それから少し経った後。

 口を開いたのはミリアからだった。

「姉さん……私も、修行に参加させてもらおうと思ってるの」

 それから少しの間、私は口を開くことが出来なかった。いや、開いているのだが塞ぐことが出来なかった。その間ミリアは、困ったようにこちらを覗いては、恥ずかしそうに俯いたりの繰り返しで、私は言葉の意味を理解するのに必死だった。

 だって、あのミリアから、そんな言葉を聞くなんて思いもしなかったのだから。

 それから、私たち二人は落ち着いて話し合った。ミリアが落ち着いているのは普段からだが、私がこうして落ち着いているということが、自分自身のことなのだが信じられない。昔の自分ならば、考えるまでも無く止めていただろうに、今の私には、頭ごなしにその言葉を否定する気にはなれなかったのだ。

 冷めたコーヒーを啜りながら時計に目をやれば、時刻は七時をまわったところ、鬼宮朱音とリセリアが交わした約束の時間まで一時間も無い。そう思えば、次に出る言葉は自然と滑り出した。

「私も、参加するわ。あいつ一人じゃ頼りないもの」


 そうと決まれば、膳は急げと部屋を飛び出した時のミリアの表情を、私は決して忘れることは出来ないだろう。きっと、自分もあのように笑っていたはずだから。途中でロザリィの姿を見かけて声をかければ、目的地は一緒らしい。そして考えていることすらも……

 こうして、私たちの修行への参加は決定したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「さぁ、特訓を始めるわよ」

 手入れなく生え渡った緑の中、少女たちを前に仁王立ちするリセリアは威圧的な口調で言い渡す。その少し先で、レイリスは生い茂った木々の木陰に腰を下ろして、リセリアの持参した魔導書やら修行に使うマジックアイテムなどを手入れしていた。
 
 ここはサバイバルエリア内の草原。リセリアが直々に学院長に許可を得て、彼女たちを連れ赴いた修業の場。

 リセリアの言葉に、彼女たちの意気込んだ返事がその場に響いた。その姿を満足そうに見つめたと思ったリセリアは、不意にある人物に声をかける。

「その前に、武器を持っているものは私に寄こしなさい。特に朱音、貴方の腰に下げてる刀と篭手」

 さっさと寄こせと言わんばかりに、リセリアは催促するように右手を向ける。そんなリセリアを目の前にして、ロザリィは素直に肩にかけてあるエルヴンボウと矢を下ろした。朱音は躊躇いがちに自分の主力の要とも言える武器を外すと、貢物を差し出すようにリセリアへと向ける。それを見やって、リセリアはパチンと指を鳴らすと、朱音の刀と篭手は吸い寄せられるようにリセリアの手元に引き寄せられた。若干の驚きを含んだ眼差しで、それを見ていた朱音であったが、何となくリセリアらしい受け取りかただなぁと感じる。

「なぁ、私それないと何にも出来ないぞ」

 一応分かっているとは思うが、口に出しておく朱音。情けないが本当のことなのだから仕方がない。

「今の貴方が持っていても何にも出来ないわよ、それとも先日の様に醜態を晒すのが貴方の出来ることなのかしら?」

 厳しい視線と共に、数倍の鋭い突っ込みで返されてしまった。その言葉にガラスのハートを打ち抜かれた朱音は、力なくその場にうな垂れる。本当のことなのだが、やはり面と向かって言われれば傷つくものである。

「まず、貴方には、この武器を使いこなすまでの基礎を完璧にマスターしてもらう。それが出来なければ、篭手はまだしもこの刀は棒切れと変わらないわ」

 落ち込む朱音を尻目に、意味深に言うリセリア。そんなリセリアに、雅美は進言の許可をもらうように、控えめに手を上げた。「なに?」と視線で先を促すリセリアに、雅美は胸元のうちポケットを漁りながら、十数枚の薄い紙束を取り出した。

「あっ君みたいな武器ではないんだけど、一応私の戦力みたいなものだから。はい……」
「これは……符ね。久しく見ることがなかったけど……」

 雅美が差し出した紙束を受け取ると、ピクリと片方の眉を上げながら、リセリアは一瞬懐かしむように目を細める。そして、「一応預かっておくわ」と言葉を漏らすと、丁寧に自身のポケットにそれをしまった。手際よく預かった荷物を一纏めにしたリセリアは、適当な石に腰掛ける。それに習って、弟子である彼女たちも、草原の芝生に腰を下ろす。

「そうね、特訓を始めるに当たって、一通り説明をしておくわ」
「パンツ見えてるぞ」

 真剣な表情で足を組みなおすリセリア。彼女の目の前に座りながら、見上げるように視線を上げていた朱音の目に、その太ももとスカートの隙間から、一瞬青のストライプ模様が垣間見える。これは人として忠告しなければならないだろうと、善意の気持ちで言い切った朱音。

 

「……」

 

※ただいまお見せできません

 

「説明を始めるけれどかまわないわね」

 ゴォと右手にどす黒い炎を纏わせながら、こめかみに青筋を浮かべたリセリアは、氷のような視線でそう語る。そのひんやりとした空気を肌で感じている雅美たちは、冷や汗を掻きながら地面に顔がめり込んでいる朱音に目を向けていた。

 そして、リセリアは一つ咳払いをすると、中断された説明を開始する。今度は立ちながらだが。

「まず言っておくけど、魔術が術式の難解さや威力に応じて等級に分けられているのは貴方達も知っているわね? 実戦で魔術を行使するにおいて、四級以下の攻性魔術は、ほぼ確実にディスペル(解呪)されると考えた方がいい。でも、貴方達の中で最も優秀だと言えるロザリィも扱える魔術は四等級が限界、これでは自分の身すら守れない。貴方達にはこれからの修練を通して、攻撃の主体として扱える二級レベルの攻性魔術を最低でも一つは覚えてもらうわ」

 その言葉に、皆は修練の難解さを読み取って眉を寄せる。しかし、そんな中、朱音だけは別のことで頭を悩ませる。リセリアが言っていることの半分が理解できないでいるのだ。そもそも……

「等級っていくつあるんだ?」

 新入生ですら答えられるだろう基本ですら、朱音の頭には入っていない。ふと、漏れたその言葉に、その場にいる全員が呆れたような哀れみにも近い視線を投げかけたのは言うまでもなかった。リセリアだけは怒りの視線を突き刺していたが。隣に座る雅美は、静かで重い溜息をつくと、これ以上幼馴染が非難されないよう説明を始める。

「あのね、魔術の難易度によって十段階の等級に分けられているの。最も簡単で基礎とも呼べるのが十級、それから順々に難しくなっていって、最高レベルの魔術が一級。そして、私たちが今から身につけるのは、一級の次に難易度が高い二級を習得しなきゃいけないって事!!」

 雅美の簡潔な説明に、コクコクと首を縦に振る朱音。その姿に、本当に分かっているか心配になるが、まぁ大丈夫だろうと思い直す雅美。思わなければやってられないというのが本音だろうが。


「説明はこれくらいにして、早速始めるわよ。時間が惜しいわ」

 特にお前に掛ける時間がなといった具合に、メンバー一番の問題児を一瞬睨むと、リセリアは腰に下げているポーチのような子袋を外し、朱音へと投げる。朱音は慌ててその袋を受け取ると、ガラスがぶつかり合うような、カチャリカチャリと透明な音が手の中で響いていた。袋に詰め込まれた何かは、球体を表すかのように袋から小さな盛り上がりを幾つも見せている。

 紐を解いて袋の口を開けると、数個のガラス球のようなものが入っていた。掌より少し余るくらいの小さな玉を一つ摘み出してみると、球内で透明な液体のようなものは揺らめいてはチャプリと水音を立てる。

「わっ、綺麗だね。見せて見せて」

 これといって装飾はされていないものの、シンプルだからこその物としての美しさがある。隣で覗き込むように見ていた雅美は、せがむように朱音の袖を引く。

「全員分のスフィアは入っているはずよ。一人一つ持ったら、そこに並びなさい」

 リセリアの言葉に、スフィアとはこのガラス玉のことだろうかと、朱音は再び視線を手の内で降り注ぐ光を反射しては煌いているそれに移した。取り合えず、人数分のスフィアを袋から取り出し、一人ずつ手渡していく朱音。受け取ったソレに、思い思いの反応を見せる彼女たち。光物を渡された子供のように目を輝かせている雅美に、眉間に皴を寄せながら乱暴に振るうアリア。恐る恐るといった感じに掌で転がしては、見つめているミリアに、細かに観察を繰り返しているロザリィ。

 彼女達の性格を、見事なまでに表現していると言える行動パターンだと思う。

 

 ひとしきりの間、彼女達はそれぞれにスフィアを弄っていたが、リセリアの呼びかけによって早くも修業は開始された。鬼教官のように仁王立ちするリセリアから出た言葉は、単純明快なものだった。

「そのスフィアに魔力を篭めなさい」

 言葉だけを鵜呑みにすれば、正直これ程簡単なものはない。シンボルの形成のほうがずっと難しいくらいだ。

「魔力を篭めるだけでいいのか?」

 ついとその言葉が出てしまう朱音。もっとハードな修業を想像していた朱音は、どこか拍子抜けしたような顔つきで、ポリポリと頬をかく。

「えぇ、魔力を篭めるだけでいいわ。試しにやってみなさい」

 しかし、朱音のその言葉に、リセリアは口許をニヤリと吊り上げながら、意味深に答えた。

 

(む~……こんなので足止めをくらってたまるか)

 更なる高みを求めている朱音にとっては、こんな事で時間を浪費するわけにはいかないのだと、意気込みを新たに。スフィアを持ち直すと、自身の魔力を流し始める。流々と流れ込む魔力に反応して、スフィア内にある液体は淡く発光の色を見せ始め、朱音はここぞとばかりに力を込めた瞬間。スフィア内で起こっていた発光が激しくなり、中心に光球のように凝縮…………直後、スフィアは閃光と共に弾け飛んだ。

 バキン!!と大きな音を立てたスフィアから発せられたのは、身体の芯まで貫き通すような衝撃波。叫ぶ間すらなく気づいた時には、朱音は地面に仰向けになって倒れていた。目の前に広がるのは、青空と自由に飛び回る鳥達。軽く頭を振りながら身を起こせば、先程まで傍らに居たはずの雅美達が随分と遠く離れた場所から、駆けてくる姿が見える。

「あっ君!!」

 地に膝を付きながら朱音を支えるように、背中に手を回す雅美。

「あぁ、大丈夫……」

 雅美の顔を少し見上げながら、朱音は苦笑いを浮かべて答える。大して痛む箇所もなければ、怪我をしたところもない。試しに四肢を軽く動かし見るが、異常は至って見られない。

「朱音さん、怪我は無いですか!?」

 雅美に次いで駆けつけてきたロザリィ達は、焦りと不安を感じながら問う。

「うん、私は大丈夫。皆こそ怪我はないか?」
「私達なら大丈夫です」

 先程の衝撃波の事を考えれば、すぐ近くに居た筈の皆にも影響は及んでいたはずだ。堪らず朱音は聞き返すが、普通に答えるロザリィ達に安堵の溜息を漏らして微笑む。

「うん。何か危ない予感がしたから、皆で離れて見てたから大丈夫よ」
「えっ……あぁ、うん。怪我がなくて本当によかったよ」

 笑顔で言う雅美に、何となく複雑な気分に叩き落された朱音であった。

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誕生日:
1986/10/31
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