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「それじゃあ、朱音さんが噂の編入生だったんですか」
「だから、さん付けじゃなくてもいいって。私はミリアって呼び捨てにしてるんだからさ。図々しくも……」

 鳥篭のベンチに二人で腰掛けながら、朱音とミリアと言う少女は話込む。
あの後、お互いの自己紹介を済ませて、二人はすっかり意気同行していた。

 

 彼女の名前はミリアと言って、本名はミリア=メロフィアーゼ。額に、宝石が生まれながらに付いていると言われているセイレーン種族の少女であり、朱音とは同級生で、現在魔法特待生の高等三年生(高校三年)であるらしい。

「いえ……図々しい何てそんな事は……。私が呼び捨てにする方がもっと……その……」

 ミリアはどこか遠慮がちにそう言うと、恥かしそうに俯く。最初のあの怯えようから察すると、かなり臆病な性格で遠慮深い性質なのだなと言う事は、いくら鈍い朱音であっても何となく分かる。

「じゃあ、今はそれでいいよ。呼べるようになったら、呼んでくれればいいし」

 ミリアを困らせないよう出来るだけ配慮し、朱音はニッコリと笑いながらそう言った。強く言ったら怯えてしまいそうな彼女に対して、朱音の口調からは、いつも雅美と話している時のような毒気と言うか棘が抜けている。

「それより、ミリアは朝早くこんなとこで何やってんの?」

 ベンチに座り、空を見上げていた朱音に、ふとそんな疑問が頭を過ぎる。慣れない部屋のせいで、随分早く眼が覚めてしまった自分と、ミリアも同じ理由だとは何となく思えない。

「歌を歌いに来てたんです」

 ミリアは、朱音のその質問に対して照れたようにそう言った。

「寮からここまで?」
「はい」

 ミリアの返答に対して、また新たな疑問が浮かぶ朱音。
寮の周辺もあれだけ広いのだから、歌えるところは探せばいくらでもある筈なのに、どうしてミリアはこんなところまで来る必要があるのか。

「何でわざわざ?」
「あんまり人に聞かせたくなくて……」
「あんなに上手いのに?」
「……あの……それはその……」

 その朱音の質問に対してミリアは、そんなしどろもどろな声を出すと、ついには黙ってしまった。そのミリアの姿はどうにも可憐で、その上とても弱々しく朱音には見えた。

朱音の心に、罪悪感が込み上げる。別に朱音が何かしたというわけではないのだが、朱音がした質問は、ミリアにとっては答えたくないものだったらしい。

「ごめん、私が聞いていい事じゃなかった」

 朱音は、ミリアから視線を逸らしそう言うと、地面に青々と生える草を見つめる。

 二人の間に、居心地の悪い沈黙が訪れようとしたその瞬間。

 ミリアが唐突に口を開く……

「……セイレーンの歌声には、魔力が宿っているんです」

 ポツリとそう呟いたミリアの言葉に対して、朱音はその意味がよく解らない。朱音の視線は自然とミリアのほうに向き直ると、ミリアの言葉を待つ。
すると、ミリアは俯いていた顔を少し上げ、誰もいない森の中を見つめて、朱音とは視線を合わせないまま言葉を続ける。

「セイレーン種族は、ヒュームにはない額の宝石以外に、歌声に魔性の力があるんです」
「魔性?」

 朱音は、耳にした事がない単語に首を傾げる。そんな朱音の口調で、その心理を読み取ったのか、ミリアは丁寧にその意味について説明し始めた。

「はい……。セイレーンの歌声には、人を強く惹きつけ魅了する力があって、その声を聞いてしまった人に眠気を誘ったり、気を失わせて操ったり……それに……あの、その……別種族の男性を誘い出したり……とか……」

 最後の説明は、とても恥ずかしそうに頬を押さえて、顔を真っ赤にしながらそう言うミリア。

まぁミリアの反応からして、最後の説明の誘い出すという意味は……

まぁそのなんて言うか、簡単に言えばヤル……

って、これじゃあ言葉が汚いな……

性行為をする為に、ということらしい……

 朱音達くらいの年代なら、もっと過激な言葉を簡単に口に出して面白がっているものだが、ミリアはこう言った話はとても苦手なようだ。そんなミリアの姿を見ていた朱音も、柄にもなく恥ずかしくなる。
朱音は、俗に言う下ネタは案外平気な方だ。別にある程度のことなら普通に話せるし、普通に聞ける。朱音の在籍していた学校の友人も普通にしていたし、雅美なんて可愛い顔して下ネタ大好き娘だ。そんな雅美といることが多い朱音は、生々しい話を雅美に聞かされることも多い。
 
 だから、いつもだったらこんな事くらいでは、恥ずかしいと思うことはないのだが、ミリアのあの頬を染めている姿を見たら、自分がとても邪で変態な人間に思わされる。

 と、朱音はそんな事を思いながら、ある重大な事に気づく。

「……なんで私は、男じゃないのに誘い出されてんだ」

そのどうしようもない答えに対して朱音は、心底ショックを受け、頭を抱えながら、小声で呟く。

 朱音の場合、眠気を誘われたわけでもなし、気絶したわけでもない。朱音は、ただ単に、考えるより先に体が動き、そして、耳にした美しい歌声をもっと聞きたいと言う衝動に駆られここに行き着いた。そう考えれば、ミリアの説明した三つの説明のうち、当てはまる項目は一つだけなのだ。

 ミリアは、落ち込んだ朱音の方を不思議そうに見ながら、声を掛けた。いきなり傍らにいた人間が、不自然な態度をとれば誰でも気になるものである。

「朱音さん?」

 俯きながら地面を見つめている朱音の顔を覗き込みながら、ミリアは優しく穏かに問い掛け、ミリアの腰まで伸びているストレートの髪が、音もなく零れ落ちた。

「……あのさ、ミリア……その誘い出されるのって男だけ?」

 朱音は俯き肩を落としたまま、力なく訊ねる。

ミリアは、朱音のしたその質問で、弱々しい態度の理由に気づいたのか、慌てて口を開く。

「あっあの、確かに誘われるのは男性の方だけって言いましたけど……、魔性の力は女性の方にも影響があるんで、男性だけとは限らないと思います!!……たっ、多分」

 必死に朱音の事を慰めながらも、多分と付け加えるミリア。

「……いや、いいんだ。男っぽいってのは、よく言われるし……自分でも少なからず、認めてるし……」

 そう言いながら苦笑いを浮かべる朱音であったが、ミリアにはその姿が一段と落ち込んだように見える。

「そっ、そんな事ないですよ……。最初に見た時はそう思いましたけど、話してみれば女の子だってちゃんと分かりましたから!!」
「は、話さなきゃわかんないんだ……」
「あっいえ、そう言うつもりじゃ……。それに、男っぽい事が悪いこと、ってわけではないじゃないですか!!」

 ちゃっかり、男っぽい事に対して否定を諦めるミリア。
 
「……でも、よくもないよね」
「あっ、ありますよ!!いいところなんて沢山!!」
「……例えば?」
「え……それはその……。え~と……あっ、みためが強そうにみえますよね!!それに、痴漢にあうことも少なくなるし!!それに……」

そのまま、浮かんだ事を全て述べていくミリア。本人は一生懸命慰めているつもりだが、言われた側は結構傷つく言葉の連発である。

(うん……ミリア。一生懸命なのは伝わるんだけどね。女の子が強そうに見えても仕方ないし、痴漢に逢わないのはただ単に見た目が悪いからだと思うんだよね)

 ミリアに悪気が無いのは、朱音にも分かっているため、文句を言うことも出来ないまま、時間だけが過ぎていき。その間ミリアは、懸命に朱音に対して慰めの言葉を送り続け、朱音のコンプレックスを増やしていったのであった。 

 

 

 

 一通りのミリアの地獄の慰め?が終わり、時間は七時を少し過ぎた頃だった。ミリアと朱音が会い、話し込んでから一時間近く経っている。寮では朝食の時間帯が近くなり、寮内には朱音が起きたときのような静けさは残っておらず、寮生同士の挨拶や話し声が飛び交っていた。外はもう明るく、均一に廊下に設置されている窓からは、温かみある日差しが漏れている。

 廊下で立ち止まりながら話し込む生徒もいれば、話しながら食堂に向かう生徒達がいる中、三階の廊下のとある一室の前で仁王立ちをしている少女がいた。魔法特待生用の真新しく濃い紫色の制服を身につけ、傍から見ても不機嫌だと分かるほどのオーラを発しながら、彼女はその部屋のドアを睨みつけている。ドアに付いているプレートには、数字で310と部屋番号が書かれ、その部屋番号の主は、先ほどから呼びかけている彼女に応答していないところからすると、どうやら不在らしい。

「全く……あの馬鹿どこに行ったのよ。見つけたら絶対お仕置きしてやる」

 やり場の無い怒りを吐き捨てるかのように彼女は低く呟くと、くるりと踵を返してその場から颯爽と紅い絨毯の上を歩き出す。
肩より少し長い黒髪が歩くたびに揺れ、華奢な体格とどこか幼さが残る端正な顔立ちをした少女は、朱音の従姉であり、隣人の六道雅美だった。

 どうやら、朝が苦手な朱音のためを思い、わざわざ起こしに来たらしいのだが、その本人は不在で部屋には居らず、寮内にも姿が見当たらないことに対して腹を立てているようだ。

「だいたい、自分で起きれるなら、いつも人に起こされるまで図太く寝てるんじゃないわよ」

 雅美の怒りは、収まりどころか見当たらないように噴火し続ける。

「せっかく、制服姿を一番に見せてあげようと思ったのに。あいつは、この私の寛大な優しさと気遣いを全く分かってない」

 雅美の制服姿を一番にお披露目した事で、朱音にとって何の気遣いになるのかは全く持って不明だが、部屋に居ないことだけで憤慨しているわけではないようだ。

(それで、あいつの制服姿も私が一番に拝んであげて、大笑いしてやろうと思ったのに……。あのあっ君に、あのしっかりした制服が似合うとか考えられないしー)

どうやら、一番の主な憤慨の理由は、朝から朱音の制服姿を見て完膚なきまでからかってやろうとしていた雅美の計画が、朱音が居ない事で水の泡になった事が原因らしい。朝からそんな事をされる朱音の身にもなれば、部屋に居なかった事はむしろ幸運な事なのかもしれない。

 雅美は、最後のこの言葉は口には出さず、心の中だけで呟やく。真っ白な軍服姿をしている朱音の姿を、雅美は頭の中に思い浮かべてみると、その想像した朱音の姿に、プッと噴き出してしまった。

(やっぱり……似合いっこないわ。まぁ、スカートを穿くよりは何倍もマシだけど……。あっ君がスカートなんか穿いたら、オカマ扱いされちゃうもの……多分)

そんな、脳内の朱音の姿に微笑し、足早に風のように廊下を過ぎる雅美の姿を、廊下の隅で華々しく雑談をしていた同じ寮生たちは、それを一時中断し、みな雅美の後姿を見送っていた。

「ねえ、あんな綺麗な子高等部に居たっけ?」

 階段の近くで雑談していたヒュームの女生徒が、傍らに居るエルフの女生徒に訊ねる。

「私も見たことないわよ。でも、本当に綺麗な子だったねー。お人形さんみたい……」

半ばウットリとした様子でそう答えたエルフの女生徒は、雅美が下りていった階段を呆然と見つめていた。

 こうして、雅美の外見で騙された生徒達が増える中……

 その頃、朱音は……


「へくしょん!!!」

 朱音は、雅美の殺気?を感じ取ったのか、豪快なくしゃみをしていた。

「風邪ですか?」

 ミリアは朱音の顔を見ながら、心配そうにそう尋ねる。

「ん~そんな感じじゃないんだよね。身体もダルくないし、頭も痛いってわけじゃないし……」

 鳥篭のベンチに座り、朱音は少し考えながらうわ言のように呟いた。

「そうですか……あっ、そう言えば、もうすぐ朝食の時間ですけど大丈夫ですか?」

 ミリアは、左手につけている女性物の小さな時計を見ながら、朱音にそう言った。

「うおっ!!マジで!?」

朱音は、すっかり忘れていたと言うような顔つきをしながら、鳥篭のベンチから勢いよく腰を上げる。
太陽が随分と高くまで上がていた事を、今更ながら気づく朱音。起きた時のように、暗く冷たい雰囲気など全くない外の景色は、ただただ温かみのある太陽の光だけに照らされていた。

「やべーやべー。話に夢中でつい忘れてた」
「朝食の時間は七時半からですから、今から行けば間に合いますよ」
「じゃあ、のんびりしてらんねーな。ミリア行こーぜ」

 朱音がミリアに対してそう言うと、ミリアはなぜか辛そうに一瞬目を細めるが、直にいつもと同じように小さく笑いながら答える。そんなミリアの変化を、鈍い朱音は知る由もない。

「いえ、私はもう少しここにいます」
「……飯食わねーの、ミリア?」
 
朱音はミリアの言葉を聞き、不思議そうにそう訊ねたが、ミリアはお腹が空いていないと言った。朱音は、何があろうとも三度の食事を決して欠かさないタイプなので、よく我慢できるなと少し感心する。

「そっかぁー。じゃあ、私は腹もへったしそろそろ行くよ。また話そうなミリア」

 朱音は、笑ってそう言うと、手を振りながら足早に駆けて行った。
朱音の姿が森の中に消えると、先程まであった穏かで、それでいて楽しかった気持ちがミリアから薄れていく。

 木々たちに囲まれたこの空間は、朱音が居なくなってしまっただけで随分寂しい雰囲気になってしまったとミリアは思う。

「……不思議な人」

 ミリアはポツリと呟きながら、自分が何故あんなにも普通に話せていたのか、今になって疑問に感じた。他人と接するのが怖くて、いつも人から逃げるように去っていた自分が、ついさっき、偶然出会ったばかりの人と話していた事が、ミリアは自分でも信じられなかった。
そして、その時間はとても楽しくて、夢でも見ているかのような幸福感を感じていたことも。

「でも……あの事を知れば……きっと……」

 でも、ミリアはこうも思ってしまう。
本当の私を知ったら、あの人も私を蔑むだろうと……
出合った時のように、私にあんな風には話し掛けてくれはしないだろうと……

 ミリアは、沈痛な面持ちをして、ただ下を向く。
瑠璃色の髪と、燃えるような紅い額の宝石だけが、切なそうに淡い光を反射していた。


第二章《泣きっ面にトロル》へ続く

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1986/10/31
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