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七時三十八分 ―――食堂――――


「ねぇ、あんな子いたっけ?」

 ランチタイムが間じかに迫り、食堂に集まった生徒たちからは黄色い声が囁かれ、激しさはないものの、静かな熱気で満ち満ちている。
小さなシャンデリアがいくつも飾られている下で、美しく装飾されているテーブルに、優雅にそれでいて落ち着きある姿勢で座っている少女たちの顔は、気品と誇りと言う言葉が恐ろしいほど似合っていた。

 

 そんな少女たちが、沸きあがり奮闘している今日の話題は、黒髪の美少女現る。
噂は寮生から寮生に伝えられ、ランチタイムが始まる頃には、噂の輪は隅々まで、波紋を描く水のように広まっていた。
そして、その噂の根源が、ここ食堂フロアに居るのだから、更に噂に熱が入っている。

その高潮した彼女たちの視線の先にいたのは、未だに朱音が見つからず、不機嫌さが増しに増している六道雅美だった。雅美は、食堂内にいる人の邪魔にならないよう、食堂の一番端の壁に腕組をして凭れかかり、誰とも視線を合わす事もなく下を向いていた。

「私も見たことないけど……」
「でしょ! じゃあ、あの子が噂の編入生ってわけね。思っていたより綺麗な子ね」
「えっ、あの子が噂の編入生なの!?」

 そんな雅美の姿を、窺うように見ていた寮生からは、羨望の眼差しやら驚き言ったざわめきが、波のように更に輪をかけて広がっていく。
そんな少女たちの囁きは、雅美の耳にはしっかりと届いているものの、当の本人は素知らぬふりを続けていた、と言うよりも、今は頭に血が上りすぎて、他の事を考えられないようだ。

雅美にとっては、容姿や才能なども含めて、幼い時から褒められ続けていた。
立ってよし座ってもよし、成績も優秀、運動神経も抜群。教養や作法、家柄までも含めて、何から何まで完璧な雅美。それは、猫かぶりが構成したものが殆どだけど、それをそつなくこなすのも驚きである。

だから、周囲からのそう言った、憧れの感情を向けられるのは、雅美にとってはもはや当然の日常だった。逆に嫉妬なんかの感情も向けられることも多いが。そんな毎度毎度の事を、いちいち恥かしがっているようではどうしようもない。
編入前の学校でも、編入先のこの学校でも、はやし立てる人々が違うだけで、それ以外は何も変わらない。編入前の学校では、上級生からのお茶のお誘いは絶えなかったし。後輩からの呼び出しも絶え間なくあった。そんな、多忙な事を、雅美はいつも笑顔で対応してきた。
皆の中心に居る事は、それはそれで悪い気はしない。優越感と言うのも、少なからずはあった気もする。
しかし、それと同時に、自分の気持ちの中に、空虚な気持ちもあったことは確かだ。
誰といても、本心を見せられない。落着かない。

 でも、今は違う。ここには、在りのままの私を受け入れてくれる人が居る。

 いつも、雅美に騙されては殴られ、からかわれては殴られているのに、それでも普通に傍にいてくれる。遠巻きに自分のことを見ていた人達とは、全く違う。
馬鹿正直で、嘘をつくのが下手で、優柔不断な上にお人好しで。
そんな性格の朱音と居るのは、とても落着くしそれでいてとても楽しい。

 朱音の周りには、いつも人の輪が出来る。知らない間に人の事を強く惹きつける不思議な力。
でも、時にそれは傍に居る者を不安に突き落とす。

 今、雅美はその状態なのかもしれない。

 


(ほんとに……何所に言ったのよあいつ……)

 周囲が自分のことを持てはやす声が響く中、雅美は床を見つめながら行方の分からなくなった朱音に対して、心の中で不満を呟いていた。

(人に聞きたくても、知り合いなんかいないし……。もう、どーしようかな)

 雅美が頭を悩まし、食堂の床を見つめていると、些細なざわめきが支配していたこの空間が、一陣の強風が吹き荒れたかのように、周囲が俄かに騒がしくなる。

(何よ……うるさいわね……)

 機嫌の悪い雅美は、いっそう高ぶった周りのざわめきに対して、無性に腹が立ち、いかにも不機嫌そうに顔を顰めて視線を上に上げた。

 すると……

(あ……)

 雅美の瞳に、純白の制服と濃い紫色の制服が入り乱れている光景が飛び込んでいる中、食堂入り口に立っている人物が居る事に気づく。

 白い軍服に身を包み、ショートカットに切られている漆黒の髪、女子にしては高い背丈、緊張しているせいか無愛想になった顔つき。

 紛れもなく、探しに探しても見つからなかった鬼宮朱音本人である。

 見つけ次第、すぐさま殴り飛ばしてやろうと、アレコレ拷問メニューを考えていた雅美であったが、朱音の制服姿が、自分が思っていた姿よりずっと似合っていたので、その感情が一時どこかへ行ってしまった。が、すぐ帰還。

 一瞬惚けたように朱音に見入っていたのを悔しく思いながらも、雅美は足早に食堂入り口に向かって歩いていく。その顔つきは今まで以上に不機嫌で、肩も少し何時もより上がっているせいか、いかにも怒っていますの意思表示をしていた。

 食堂の床を、音を立てながらツカツカと自分に向かって歩いてくる雅美に気づいたのか、朱音は不機嫌な雅美とは正反対に、嬉しそうな顔つきに変わった。

「雅美、お前どこに居たんだよ。探したぞ」

 鈍い朱音は、雅美が必死になって探していたことなんて露知らず、そしてその事で雅美が憤慨してることも気づかずに、悪ぶりもせずにそう言った。

 雅美はその言葉を聞き、朱音の前まで来ると、物凄い形相で青筋を立てながら朱音を追いやるように食堂の外まで連れて行くと、人の気配がしないヒッソリとした階段下まで無理矢理連れて行った。

――――ドンッ――――

「おっおい、何だよ」

 朱音は、意味が分からないと言ったような顔をしながら雅美の顔を見る。

「何だよじゃないわよ。あんたこそ一体どこに居たわけ?こっちは、あんたのこと探し回って大変だったんだからね」

 背中を壁に貼りつけられるように追いやられた朱音の顔の横に、雅美は自分の手を力一杯叩き付け、朱音の事を睨みつけながら言葉を続ける。

「言い訳くらいは、聞いてあげる。な・に・を・し・て・い・た・の」

 先程よりも、雅美の声色に静かな迫力と怒りを感じたせいか、冷や汗をかきながらたじろぐ朱音。かと言って、壁際に追いやられているせいか、逃げることも出来ず、ヒンヤリとした感覚が背中に徐々に伝わってくる。

「いっ、いや……部屋があんなだから……早くに目が覚めちゃって。それで、暇だから散歩に出てて……」
「そぉ、随分遠くまで散歩に出てたみたいね」

 全く納得していないという顔をしながら、雅美は冷たく返す。

「あーいや、その……あっ、そうそう。それでさ、散歩の途中でミリアって言うセイレーン種族の女の子と仲良くなったんだ。それで話し込んじゃってさ」
「ふーん……」
「何つーか、歌も上手いし、可愛い子だったよ」

―――ブチッ―――

思い出したかのように、そう付け加える朱音。しかも嬉しそうに。そしてその時、そんな朱音の顔を見た雅美の中で、ついに何かが音をたてて切れた。
朱音的には、それは友達が出来て嬉しかったと言う平凡で率直な感想の筈が、雅美に対しては火に油を注ぐ結果になる。

「ふーん……。可愛いお友達が出来てよかったわね……この、ばかぁ!!!」

         バキ!!!

「ぐほぉあ!!」

 雅美の容赦ない鉄拳が、無防備な朱音の腹部に捻じ込み、肺にあった空気が否応なく一気に吐き出される。
あまりの衝撃と痛みに、朱音は床に勢いよく倒れ。今度は、廊下の冷たい感覚を顔で受け止めることになってしまった。


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