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「ん~、……」

 ベットの上で小さく伸びをする雅美。可愛らしい室内の窓からは、カーテンの隙間から光が射している。甘く漂うアロマの香りが鼻腔を擽る。

「支度しなきゃね」

 ピョンと少し跳ねるようにベットから離れると、雅美は洗面所に向かう。少し露出度の高めの寝巻きが、動きに合わせて小さく揺れていた。
 
 時間は、丁度六時を過ぎ、朝に強い雅美は、目覚ましがなくてもスンナリと起きてこられる。目覚ましが何十個あろうが起きられない朱音とは大違いである。

 洗面所の鏡と睨めっこしながら、雅美はお気に入りの洗顔で顔を洗い、ピンクの歯ブラシで念入りに歯を磨いた。ブラシで髪を整え、テキパキと制服に着替える。その間約十五分。この後、三十分弱、化粧やアイロン等で最終チェックを済ます。

 雅美がこの部屋を出る時は、七時に差し掛かる頃。雅美は部屋に鍵を掛け、隣人の扉をノックする。

 コンコンと、乾いた木の音が響くものの、雅美の予想通り反応はない。今度は少し強めにドアを叩く。すると、隣人の部屋からは、ドタっと重いものが落ちたような音がする。これも予想通り。

 そして、ドアに近づく足音がすると、内から鍵を開ける音がする。ガチャっという擬音と共に目の前のドアがゆっくりと開かれると、眠そうな顔をした朱音が、頭を擦りながらドアから顔を覗かせた。

「おはよ。あっ君」
「あ~、おはよぅ……」

 雅美は笑いながらそう言うと、朱音は半ばまだ眠っているような顔をしながら答える。ジャージ姿の朱音は、覚醒しきれていない頭で、雅美を中へ招き入れると、目覚まし時計に目をやった。

「まだ七時じゃんかよぉ」
「もう七時よ」

 不服そうにそう言う朱音に、雅美は素早くツッコミを入れるものの、朱音はフラフラとした足取りでベットに向かってしまう。それに気付いた雅美は、朱音の首根っこを掴むと、逆方向にある洗面所に連れて行く。朱音は二度寝すると決して起きないため、朱音をベットに近づけさせてはならないのだ。実家に朱音が来ていたときも、今日のように雅美は朱音の事を起こしに来ていたので、そのことをよく知っている。

「まだ寝たい~」
「だめ」

 子供のようにそう言いながら、ジタバタと抜け出そうとする朱音を逃がさないよう、雅美は腕に力を籠めズルズルと引っ張る。途中タオルが入れてあるバスケットから、タオルを引っこ抜き、朱音を洗面所の前まで連れて行った。

 朱音の前にタオルを差し出すと、朱音が顔を洗っている間に制服を取りに行く。ハンガーから丁寧に制服を取ると、両手で抱えるようにして洗面所に戻り、朱音に制服を手渡した。着替えを見ているわけにも行かないので、雅美はベットのある部屋に戻り、カーペットが敷いてある床に静かに腰掛け朱音を待つ。
 と、そこまではよかったものの、することが無いので辺りをキョロキョロと忙しなく見渡す雅美。この部屋の主人には最も似合わない、刺繍入りのピンクの布団やらレースのカーテンやらが視界に入る。
確かに、朱音が落ち着かないと言っていた理由が分かるような気がすると、雅美は苦笑しながら、朱音が来るまでのほんの束の間の静寂を、物思いに耽ったように楽しんだ。

 

 

「ふぅ……」

 ここ最近、やけに溜め息が多いリセリアの顔を静かに見つめながら、レイリスは口を開いた。早朝に自分を迎えに来たリセリアと共に赤絨毯の廊下を歩く、食堂に向かう道のりには、同じような生徒たちが多数見受けられた。

「大丈夫ですか?とても疲れているようですけど」

 澄んだ漆黒の瞳にそう問われ、リセリアは自嘲を籠めた笑みを浮かべる。近頃の自分は、自然に感情の波が外に漏れてしまいがちだと言う事を、改めて認識させられる瞬間だった。

「そんな事ないわ。普段通りよ」

 強がりにも似たその言葉は、どこか自分に言い聞かせているようにも思えた。そんなリセリアに対して、レイリスは優しく微笑みながらそれ以上の追求はせず、いつもの様に労りの言葉を投げかける。

「そうですか。でも、何か困ったことがあるなら、いつでも仰って下さいね。出来るだけの助けにはなりますから」

 彼女のこう言った性格。人の気持ちに土足で入り込んでこないところが、幾らか助けになる。その気持ちだけで十分だと、リセリアは思う。そのせいか、自然と口が緩んだ。

「そうね……、しいて言えば、購買部の件を無効にしてほ……」
「それは無理です」

 ニッコリと優しく微笑むレイリス。固まるリセリア。リセリアにこんな表情をさせられる相手は、やはりリセリアの上をいっていた。

 

―学院内 カフェテラス―

「何でこう、やたらめったら金が掛かってるんだよ」
「もう少し感動しなさいよね」

 午前の通常授業科目を終えて、午後からの初特別授業(魔術基礎)に向けて、力を蓄えるために学院内のカフェテラスに昼食をとりに来た朱音は、呆れ気味に呟く。隣にいる雅美に文句を言われたが、感動よりも呆れた気持ちのほうが大きいのだから、感動しろと言うのは無理があると朱音は思う。寮内の食堂と言い、このカフェテラスと言い、無駄に広く無駄に金が掛かりすぎているこの学院の施設には慣れないし、雅美のように目をキラキラと輝かせて、「すっご~い、きれー!!」何て叫んでいる自分を想像したら、嘔気がしてきてしまう。

「で、あっ君何食べる?」

 適当な丸テーブルに座り、メニューから視線を移さずに朱音に問いかける。

「納豆」

 朱音はと言うと、メニューすら見ずに即答する。そんな朱音の顔を、雅美が顰めて睨みつけてきたのは言うまでもない。

「そんなもん、あるわけ無いでしょ」
「え~」
「サンドイッチとか、オムライスとか、パンとか、他にも色んなのあるから、駄々こねないの」
「納豆~納豆納豆納豆納豆……」

 何かに取り憑かれたようにそういう朱音。その姿はまさに子供である。

「もう、納豆以外に食べたいのないの ?」
「湯葉」
「そう、ゆばね……って何で湯葉なのよ !?」
「ん~何となく」

 朱音のその言葉に、一度は納得してしまったものの、雅美は鋭くツッコミを返す。ここ、アスガルド女学院では、和食が出てくる日は、月に二回と決まっている。そして、朱音が懇願してやまない納豆は、生徒たちに不評なので和食のメニューにすらない。

「はぁ……じゃあオムライスでいい?」
「うぃ~、納豆がよかったな」

 雅美は軽い溜め息を吐きそう言うと、朱音はアッサリと了承する。ただ単に、雅美を困らすのが目的だったらしい。いつものお返しとばかりに雅美を困らせる朱音であったが、本当に納豆が食べたかったのは紛れもない事実なようだった。

「朱音さん、雅美さん、御機嫌よう」

 凛とした声。彼女に話しかけられるのはこれで二度目だ。

「あっ、ご機嫌よう。ロザリィさん」
「こんちわ~ロザリィ」

 金色に輝く髪に、エルフ特有の尖った耳。そして、意志の強い切れ長の瞳をした彼女は、やはり昨日と同じように極上の笑顔を零しながら、朱音と雅美の現れた。

「ロザリィさんでしょ」
「いいんですよ。もし宜しければ、雅美さんもそう呼んでください」

 馴れ馴れしくそう呼ぶ朱音に対しても、怪訝そうな顔一つしないで笑うロザリィ。

「昼食、ご一緒しても宜しいでしょうか?」
「全然いいですよ。ね、あっ君?」
「勿論だとも……むっ!!」

 ロザリィの言葉を快諾した矢先、朱音はロザリィの後ろにいる人物に気付き、顔を顰める。

「何よ。喧嘩売ってんの?」

 この学院にいる生徒の中で、今のところ朱音に対してこういった言い方をする人物は一人しかいない。朱音と同じ、いやそれ以上に顔を顰めて睨みつけてくる彼女。

「出たな。ミリアの皮を被った悪魔め」
「何ですって~。あんた何か、サ○ゲッチュに出てくるピポザルを引き伸ばしたような顔してるくせに」
「失礼な、私はそこまでマヌケ面じゃないぞ!!」
「ふん、そうね。サルに悪いことをしたわ」
「違う私にだ!!」

 朝から火花を散らしながら争う朱音とアリア。まるで昨日のカフェでの出来事を再現しているようだ。

「ねっ、姉さん、それはちょっと言い過ぎ……」

 と、そんな二人の言い争いを、アリアの後ろに隠れるように見守っていた、アリアとそっくりな少女がオズオズと顔を覗かせ、遠慮がちに呟く。

「ミリア。こんな奴の事庇うことないの。それに私は、この可愛そうなお猿さんに事実を指摘してるだけなの。言わば親切心の表れよ」
「どこが、親切心だ。私には皮肉と嫌味が染み込んだ言葉にしか聞こえないけどな」
「あら~、私の親切心をそういう風に受け止めるなんて、頭の中までお猿さんなのかしら」

 勝ち誇ったようにそう言うアリアに、悔しさを堪えるように歯軋りをしている朱音。そしてその間で、何も言えずにオロオロと二人を見守るミリア。その、三人を見て苦笑いを浮かべるロザリィと雅美。そんな珍しいメンバーは、やはり一際目立つのか、カフェにいる生徒たちは興味津々と言った様子で、その光景を窺うように見ていた。生徒会会長と副会長であり、多数の隠れファンクラブまで存在するほどの人気を集めるロザリィとアリアが、編入生である二人と食事しているのだから、興味が惹かれるのは当然といえば当然なのかもしれない。
雅美は雅美で、昨日雅美の外見に騙された生徒たちが、近々ファンクラブを設立しようと仮作しているらしい。

「あっ君、いい加減にしなさいよ。大人気ないわね」
「私のせいかよ!!」
「もう、いいから早く席に座りなさいよ。ご飯食べれないでしょう」
「ぐっ、むぅ……」

 そう言われてしまえば、何も言い返せない朱音は、大人しく従うしかない。不機嫌そうに顔を歪めながら、席に着こうとするが……

「そうそう、言う事くらいちゃんと聞きなさいよ。頭の悪いお猿さんね」
「何だ、とぅお……!!」
「ちゃっちゃと座る!」
 
 アリアに横やりを言われ、席に座るのを中断したまま言い返そうとする朱音だったが、雅美に袖を摑まれ無理やり座らせられる。
そんな朱音の姿を見て、アリアはフンと笑いながら席に着く。ミリアはと言うと、何もしていないのにも関わらず、朱音の顔を見ながら申し訳なさそうに、静かに席に着いた。

 円テーブルに時計回りで、ミリア・ロザリィ・朱音・雅美・アリアの順で座る。もちろん、朱音とアリアを近づけると、先ほどのような口論が耐えないため間に雅美が入り、ミリアと朱音を近づけさせるとアリアが黙っていないため、自然とこう言った席順になる。

「あっ君と私は昼食決まってるけど、皆決まってる?」
「えぇ、私は決まってます。アリアは?」
「私とミリアはサンドイッチ」
「全員決まってるみたいですね」

 ロザリィはそう言うと、厨房の方に視線を移して軽く右手を上げる。すると、そう時間が経たないうちに、厨房入り口からピンクの制服に身を包んだ生徒が、足早にこっちに向かってくる。

「お待たせしました。ご注文はお決まりでしょうか?」

 ウェイトレス風の制服から手際よくプレートを抜き、極上のスマイルでオーダーを尋ねてくる生徒に、ロザリィは全員分のオーダーを注文する。その間、朱音は顔を引くつかせながらそのウエイトレスがその場を去るまで凝視していた。

「あっ君、どうしたの?」
「……」
「あっ君てば!!」
「……」

 ウェイトレスが消えていった厨房を見たまま固まっている朱音の異変に気付いたのか、雅美が声を掛けるものの、引くついたままの顔は変わらない。半開きの口のまま固まっている朱音の顔を見ていた雅美たちは、お互いの顔を見合わせる。そして……

「こ~の~」 
「いでででででで、いひゃい~いひゃい~!! はなへ!! はなへ!!」
 
 朱音の方に視線を戻した雅美は、千切れんばかりの力で朱音の左頬を引っ張る。予想通り、余りの痛みに意識が覚醒を果たしたのを確認した雅美は、朱音の頬から手を離した。朱音は、伸びたような感覚がある頬を慌てて触れながら、本当に伸びていないかを確かめるように擦る。幸い、熱を帯びて少し腫れているだけで、頬が伸びた様子がないことに安心した。

「何すんだよ!!」
「大口開けて返事しないからでしょ」
「だってお前もあれ見ただろ!! 何で、ファミレスでもないのにウェイトレスが「お待たせしました~」とか出てくんだよ!!」
「あっ君の真似キモ!!」
「変なところでツッコムなよ!!」

「朱音さん。ウェイトレスがどうかしたのですか?」

 雅美が朱音の言葉に、いちいちからかい混じりの指摘をする中。ロザリィは、訳の分からないと言った様子で朱音に聞き返した。アリアもミリアも、ロザリィと同じような顔をしながら朱音を見ていた。 



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1986/10/31
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