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その日の夜、朱音は慣れない部屋のせいで中々寝付けないでいた。ピンク色のレースが入った布団に潜り、薄暗い自分の部屋を見つめる。一人部屋の割には広く手入も行き届いている。備え付けの家具であるクローゼットや本棚には、自宅から送られてきた衣服や書物などが収められていて、シンプルかつ上品な装飾が付いた家具に囲まれた部屋の作りに、朱音は落ち着かないというよりも、居心地の悪さを感じていた。
どうも朱音は、この上品で清楚な女の子の部屋の雰囲気が苦手らしい。出てきた家の自分の部屋はシンプルだったが、レースのカーテンやピンクの布団など、自分の性格から言って絶対にありえなかった。
(いろいろ大変だったから、疲れてはいる筈なんだけどな……。いっこうに眠れない……)
寮の部屋についた後、部屋の片づけやら挨拶やらで殆ど休めず、今に至るわけだが。疲労を感じてはいるものの、何時ものように睡魔が襲ってこない。布団を頭まで被せて目を閉じ、眠気を待つことをしてみても、結局は無駄に終わった。
部屋の雰囲気も少なからずは影響しているのだが、主な眠れない原因は明日の事だ。それは明日から始まる、学園生活への大きな不安と少しの期待が入り混じったような感覚が、朱音の胸に渦巻いてしまっているせいだろう。
(上手くやっていけるだろうか……)
今日、この地に足を踏み入れてからと言うもの、色々なものに感動する反面、自分に不釣合いな場所だと、そんな気持ちが一層深まってしまったと朱音は思う。確かにここは、誰もが憧れを抱くと言われるだけの魅力がある。ここの生徒にも、それに見合うほどの器量を感じた。果たして自分には、それがあるのかという不安を、朱音は抑えきれない。
朱音はその、拭えない不安を抱えたまま、もう一度目を閉じた。
(……頑張ろう。今はそれしか出来ない)
何を頑張ればいいのか、今の朱音にはよく分からなかったが、ただ漠然とそう思った。出来る事はこれから探せばいい。自分には期限付きとは言え、まだまだ時間がある。それまでにもしかしたら、自分にもこの場所に見合うくらいの器量が出来るかもしれない。ここに相応しいと、思えるようになるかもしれない。
……つまんないより……面白い方がいいでしょ……何事も……
今日、昼間に雅美が言った事が頭に浮かぶ。
確かにそうだと、朱音は思う。まだ始ってもいない事で、ウジウジ悩んでどうする。これからだと……
ようやく朱音らしさが出たのか、自分が悩んでいた事がくだらない事のように思える。沈んだ気持ちが、随分と軽くなった。そんな気持ちの変化が現れたように、朱音に心地よいまどろみが襲い、そう時間が経たないうちに、朱音は夢の中に沈んでいった。
疲れた身体を癒すように。
―――次の日の朝―――
「……」
朱音はベットから、上半身だけ起こして、レースのカーテンとピンクの布団を見つめていた。時間は丁度五時を過ぎたところであり、外はまだ明け方近くのせいかまだ薄暗い。いつもはこの時間帯なら、まだ朱音は深い眠りについているころだろう。
(どーも、慣れねぇな……この部屋)
朱音は寝起きがいい方ではないのだが、この部屋のせいで随分と早く目が覚めてしまったらしい。
「暇だ……」
朱音はベットに座りながら、小さく呟く。睡魔が何所かに行ってしまったようで、もう一度寝付く気にもなれないようだ。
「……探検でもするか」
すると、余程暇なのか、朱音はそんな子供じみた遊びを思いついた。そして思いついたら止まらないのが、この朱音と言う人物の性格なのだ。
朱音はベットから這い出すと、クローゼットに掛けてある、新品のアスガルドの制服を取り出す。
スーツに軍服のようなデザインをした白色のブレザーに、それに対になる白のズボン。そして中に着る黒のワイシャツ。ネクタイではないのだが、紐で出来ている白のタイリボンがお洒落な作りをしている。
所属ごとに違ったデザインをしている制服は、主に三つに分けられている。一つは、朱音が希望した剣待生の制服と、魔法特待生用の制服、機械工学生が着る制服に分けられ、それぞれの特性が生かされた機能美もされている。
朱音が剣待生を選んだ理由は、剣技が得意で体力にも自信があるということも理由の一つなのだが。一番の理由は、制服がズボンかスカートか選べるからである。機械工学生も、剣待生と同様にどちらか選べるのだが、朱音は機械を使うのが極度に苦手なため、機械工学生向きではないと自分でも自覚していた。魔法特待生はと言うと、学院長の権限でミニスカートだけらしい。学院長曰く、「魔法使いはスカートでなければならん」だそうだ。
アスガルドでは、機械工学生は剣待生や魔法特待生とは全く異なる授業を学ぶ。そのため、クラスや棟も別々とされている。剣待生や魔法特待生は、授業の内容も同じなため、クラスの半分が剣待生、もう半分が魔法特待生で構成される。どちらも全く違う技術なのだが、剣しか使えない、魔法しか使えないでは意味がないらしく、どちらの技術も身に付けなければならないというのが、アスガルドの教えだそうだ。
(なんか緊張するな……)
朱音はそんなことを思いながら、その制服に着替える。黒いワイシャツから、ヒンヤリとした感覚が地肌に伝わった。
着替え終わると、朱音は部屋に置いてある、大きな鏡の前に立った。最初にこの制服を見たとき、自分にこんなしっかりとした格好が似合うのだろうか、と朱音は思っていたのだが、案外着てみると似合っている。これがズボンではなく、スカートだったらかなり危なかったと、朱音は鏡の前に立ちながら心底思う。
「……よし。それじゃあ早速行くか」
朱音は、好奇心を抑えきれぬようにそう言うと、急いで部屋から出て、赤い絨毯の上を足早に歩いていった。
管理人室の前を通り、鍵を開けて玄関から外に出る。まだ外は暗いが、部屋から見たときよりは随分と明るくなっている。
朱音は、行き先が決まっているらしく、迷わず目的の場所に向かってドンドン進んでいくが、行き止まり、と言うか先がない場所についてしまう。そこは、寮があるこの孤島の淵であり、このまま先に進めば雲海の闇に消えることになる。いつものように、朱音の方向音痴が出たのかと思ったが、どうやら目的地はここらしく、朱音は周囲の地面を
注意深く見ながら何かを探している。
「え~と、どっかに有ったはず・・・・・・おっ!!あったあった!!」
そう言いながら何かを探し続けていると、見つかったのか、朱音はある場所まで足早に掛けていった。その先にあったのは、地面に描かれ青白い光が放たれている、巨大な魔方陣だった。魔法陣の大きさは、個人差はあるものの、三十センチ~四十センチくらいの魔方陣が普通である。しかしこの魔方陣はその数倍の大きさはある。
この世界では、個々の魔法陣の大きさで魔力比率がわかる。だから、魔方陣が大きければ大きい人ほど魔力が強いと言う事になる。
「確か、寮の鍵を使えばいいんだよな」
朱音は、青白く光る魔法陣の中央辺りまで歩いていくと、寮の鍵を取り出した。すると、青白く光る魔方陣の光が一層強くなり、中心にいた朱音の姿が蜃気楼のように一瞬歪むと、忽然と姿がその場から消えた。そして次第に、魔法陣の光は弱まっていった。
寮の孤島の魔方陣の光が弱まる一方。中枢に位置する孤島、アスガルド女学院が存在する中枢の孤島では、木々たち青々と茂る森に描かれた、穏かな魔方陣の光が何時もより強く発せられたかと思うと、魔法陣の真ん中に光の固まりが現れ、人の形に変化していった。そして魔法陣の光は次第に弱まっていき、中央に現れた光も、それに同調するかのように薄れていく。
するとその強い光のせいで見えていなかった、人の姿がそこに浮かび上がった。というか、その光がその人物を覆っていたせいで見えていなかった、と言った方がいいかもしれない。光が弱まるにつれて、その姿が鮮明にその場に現れていく。
そして、その光が殆ど時間が経たないうちに消えると、はっきりとその人物の肉体だけがその場に現れている。その光の中から現れた人物とは、つい先程、寮の魔方陣で姿を消した筈の朱音だった。
「おぉ~もう着いた。転移魔法はすげえな」
朱音は魔方陣の真ん中に立ち、周りを見渡しながらそう言った。
「それにしても、綺麗なとこだな」
自然そのものの様に感じさせられるこの場所の空気を吸いながら、朱音は生い茂る木々の新鮮さを、ここまで感じたの久しぶりだと思った。
「実家にも緑はあったけど、ここまで綺麗じゃなかったからなー」
朱音はそう言うと、感傷深げに木々たちを眺めた。
朱音の実家も、緑は多い方なのだが、空き缶やらビニール袋なんかが落ちていることが多々あり、何となく自然と呼べるべき物に値しないように朱音は思っていた。
しかしここは、人が踏み荒らしたような跡がなにもなく、ただただ、青い草と木々だけが広がっていた。
朱音は魔法陣から出ると、そのまま近くにあった木の傍により、腰を掛けた。青々とした芝生の感覚が妙に心地よく、精神的にも肉体的にも疲れている朱音にとっては、ここに着て始めて感じる穏かな時間だった。
「あ~平和だな~。いつもみたいに、うるさくて暴力振るう奴もいないしな」
本人が居ないことをいい事に、好き放題言う朱音。まぁ、本人を目の前にしてこんな事を言ったら、血祭りに上げられるのは確実、そう考えれば無理はないのだが。
「雅美ももう少し、大人しくて手が早くなけりゃぁ可愛いのになぁ。あ~勿体無い……てっ、ん……?」
朱音は目を瞑りながら、次々と不満を並べる。すると、日ごろの恨みを独り言で晴らす朱音の耳に何かが届いた。
「……」
今まで自分の独り言のせいで気づかなかったのか、微かだが誰かの声が聞えた。朱音は声を出すのをやめ、耳に神経を集中させる。
そんな朱音の耳に、遠いのかも近いのかも分からないが、落ち着いたリズムに乗り、誰かに語りかけるように歌う、美しい声が耳に木霊する。その歌声は、朱音が今までに聞いた誰の声よりも、透き通るように美しく、そして誰もが聞き惚れてしまうような魅力があった。
朱音は、その声に吸い寄せられるように立つと、歌声が聞える方へと足を進ませた。好奇心がそそられたと言うよりは、この歌声の魅力に引き込まれたと言った方がいいのかもしれない。
朱音は迷う事もなく、草木が生え環たる道ではない道を掻き分けてドンドン進んでいく。まるで、その歌声に誘われるように。木々が鬱蒼と茂る森の中を進むにつれて、先程までは微かにしか耳に届いていた歌声も、はっきりと聞こえるくらいにまでなった。
すると、茂みを掻き分けて進むうちに、ある一風変わった公園のような場所に出る。滑り台やブランコと言った遊具はないものの、木々たちに囲まれるように建つ、真っ白な石で作られた、四本の柱で支えている鳥篭のような形のベンチが朱音の視界に飛び込む。
そして、それと同時に、そのベンチに腰掛け、瑠璃色の美しい髪を靡かせた少女の姿を瞳に捉えていた。
歳は朱音と余り変わらない風貌をした彼女は、アスガルド女学院の魔法特待生が着る、濃い紫色の制服を身につけていた。腰まであるストレートの長い瑠璃色の髪と、端正な顔立ちに、そして額に光るルビーのように赤い宝石。そんな彼女の姿は、周りの風景に溶け込んでいて、それがより一層神秘的な雰囲気を醸し出している。少し短めのスカートの上に手を添えて、おしとやかにベンチに座りながら、穏やかにそれでいて、とても気持ちよさそうに歌っている彼女。
朱音は、そんな彼女の姿を呆然と見ながら、その場に立ち尽くす以外出来なかった。
ただ、声をかけることも忘れて、その姿と間近で聞く歌声に引き込まれていくのを感じる。
と、彼女はそんな視線に気づいたのか、歌うのを止めて朱音の方を見る。そんな彼女と朱音の瞳は、お互いの姿をしっかりと映し出した。
彼女の紅色の瞳が見開かれる。
すると……
「あっ……、ごっごめんなさい!!」
突然彼女は、朱音に向かって謝る。ここには二人しかいないのだから、当然朱音に向けて発せられたその言葉を、向けられた朱音本人はどう解釈していいか分からない。そしてなによりも、彼女の驚きと言うよりは酷く怯えている様子が、朱音の状況判断を更に困難にさせているらしい。
朱音は返答の言葉が見当たらず、結局黙秘と言う形をとるしかなかった。
そんな朱音の態度に、彼女は混乱する。自分が何か気に触る事でも言ったのか、それとも態度が悪かったのか、と……朱音の黙秘は彼女を悪い方向へと追い詰めてしまったらしい。彼女の顔に、怯えと焦りが増し、微かだが肩も震えている。
「こんな早い時間に、人がいるなんて知らなくて……。すっ、すぐに帰りますから……」
今にも泣き出しそうな顔をして、そう言った彼女の姿を見ながら、朱音も焦る。
彼女に何かしてしまったのかと……。
先ほどとは違って、今度は頭より先に口が動く朱音。
「べっ、別に帰らなくてもいいから!!こっちこそ驚かしてごめん……」
朱音の焦り丸出しの言葉に対して、彼女は泣き顔から一変し目を丸くする。朱音の動揺した態度に驚いたのか、それとも別の理由なのかは分からない。少しの間の沈黙の中、木々たちのざわめきだけが響く。明け方近くで薄暗かった景色も、今はもう随分と明るい。
その無言の沈黙の中、今度は逆に朱音が彼女のその態度のせいで、更に焦りに拍車が掛かり蓄積し、気づくと口が勝手に廻り沈黙を破っていた。
「いや、なんと言うか、部屋のせいで早く目が覚めちゃって……散歩がてらにこっちに来たら、綺麗な声が聞えて……それでフラフラその声を辿って来たらここに着いて……って、うっわ、それじゃあ変態みたいじゃんかよ!!つーか、ストーカー!?あっ!!決してそう言うわけじゃ……あ゛―――――!!!何言ってんだ私は―――――!!」
焦りのせいで口は動くものの、話すうちに何を言っているのかも分からなくなった朱音は、大げさに頭を抱えて両手で頭を掻き毟る。手には、ジットリと汗までかいて。
と、そんな朱音の姿をキョトンとしながら見ていた彼女は、堪えきれなくなったようにプッと噴き出すと、我慢していたものを吐き出したかのように、それでもそれを必死に堪えて笑う。
「フッ、クスクス……ごめ……んなさい」
彼女から、さっきまであった怯えの表情が消えて、今は随分と穏かな面持ちをしているのが見て取れた。
そんな彼女の笑い顔を見た朱音からも、心を散々掻き乱していた焦りがスーと消えていき、自然と笑み零れる。
気まずかった沈黙から、ただただ、穏かな二人の笑い声が公園に響く。
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