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 どうしよう……

 朱音は階段の三階の手すりの陰に隠れながら、ある集団を恐る恐る除き見ていた。階段を出た直ぐのところで、五人の女生徒が荒々しげに誰かを罵倒している現場に出くわしてしまったのだ。一方的に罵られている女生徒の顔は、壁際に追い込まれ囲まれているせいで朱音からは見る事が出来ない。さっさとここから立ち去り、図書室に行きたいのだが、彼女達の脇を通らなければ三階の渡り廊下に辿り着くことが出来ない。この間のリセリアの一件から数日しか経っていないというのに、同じ階でまた不幸に見舞われている自分を哀れに思う朱音。

 

「とっとと辞めればいいのに、まだ恥を晒すつもり?」
「ほんとよね、私だったら恥ずかしくて学院にいられないわ~」

 高笑いをしながら、罵倒する二人の女生徒の横顔がチラリと見える。一人はエルフだが、もう一人は自分と同じヒュームである事に、朱音はなんとも言えない惨めな気持ちになる。

(同種族の女がああいう事してると、ほんとに情けない限りだな……。ここに隠れてる私も、十分情けないけどさ……)

 助けてやりたいがその一歩を踏み出せない朱音は、憂鬱そうに顔を歪めながら、彼女達に聞こえない程度の小さな溜め息を漏らす。

「あら~、そこまで言っちゃあ可愛そうよ。彼女、ここから出ても受け入れてくれる場所なんてどこにも無いんだから~」
「ほんと、可愛そ~。よく友達もいないのに、こんなに一人で長生きできたわね。私だったら寂しくて死んじゃうかも」
「いっその事、死んじゃった方が楽になるんじゃない?アンタみたいなお仲間がいるかもよ?……アハハハ!!」

 彼女を囲っている主な三人は、他の二人とは比較にならないほどの言葉を、さぞ楽しそうに彼女にぶつけ続ける。傍から聞いてる朱音でも腹が立つ言葉を、言われている筈の女生徒はただ黙って耐え忍んでいるのだろうか。

(あ~、もう!!! なんで言い返さないんだよ!! 悔しくないのかよ!! あいつらも、あいつらでガキじゃないんだからいい加減にしろよ!!)

 小さく舌打ちしながら、朱音が我慢できずにいきり立った瞬間。初めて、女生徒の顔が目に映る。その時、朱音から自然と言葉が漏れていた。

「……ミリア?」

 怒りよりも困惑の方が大きかったのだろう、手すりに手をかけたまま、怒鳴る事も忘れてただそう呟いていた。突然の朱音の登場に、彼女達は朱音の方に視線を移す。その中に、確かにミリアもいた。朱音同様、驚きと困惑した表情、しかし、別の何かを含めた眼差しで。それは、期待や救出を願った眼差しではなかった事だけは感じ取れた。

「アンタ誰?」

 その朱音の呼びかけに答えたのは、読んだ筈のミリアではなく、今まで彼女を罵倒し続けていた女生徒たちだった。不機嫌そうに朱音を睨みつけながら、訝しげに尋ねる、と言うか問いただす。

「あっ知ってる~、確か噂の編入生よ。魔術がろくに出来ないって噂の~」
「あぁ、あの噂って本当だったの。フ~ン、こんな奴なんだ」

「あの、ヘボ編入生?よく、魔術も出来ないのにこの学院に編入できたわね?関心しちゃうわ、どんな汚い手段で編入してきたの?」
「魔術も使えないのに、正義感振りかざしてヒーローごっこ?ださいわね~」
「私、暑苦しい奴って嫌いなのよね。関係ないんだから、どっかいけば?邪魔よ邪魔」

 それに答えたのが、五人組の女生徒の一人自分と同じヒュームの女生徒、それに便乗して好き放題罵る周りのお仲間達。それも特に罵倒が酷かった三人組は、ミリアと同じ額の宝石と瑠璃色の髪を持つ、セイレーン種族。先程までは彼女達の後姿しか見えていなかったが、額の宝石を見ればそれは一目瞭然だった。それも、チビ・デカ・ノッポときた。同じ種族のミリアを苛めているのにも、かなり腹が立った朱音は、今それ以上に驚いている事がある。

「……だな」

 朱音は人知れず小さな声で呟く。その声は、彼女達には上手く伝わらなかったのか、クスクスと笑いながら可笑しげに彼女達は問いかけてくる。

「なに?ビビちゃってるの?もうちょっと優しく言ってあげればよかったかな~?」

 おデブちゃんがそう言うと、周りにはドッと高笑いの渦が巻き起こる。ミリアはそんな彼女達の後ろから、申し訳なさそうに目を伏せ肩を震わしていた。朱音が早くこの場を立ち去れる事だけを祈りながら、これ以上巻き込まないようにと、脅えて何も出来ない自分を罵りながら。

 しかし、朱音が発した言葉で、彼女達は一気に怒りの渦に叩き落される事となる。

「ほんっと、不細工だな~。私も、人の顔の事言えないけどさ。まぁ、エルフとヒュームの子は性格ブス止まりだけど、あんたら三人身も心も不細工そのものだな、チビ・デカ・ノッポの上に苛めっ子だし~……。つーか、セイレーン種族に不細工って居たのが驚きだな。私はてっきり美人しかいないんだと思ってた」

 半ば感心しながらそういう朱音。その言葉に、彼女達の高笑いは一変し、怒りの矛先は完璧に朱音に剥く事になったのは、言うまでもない。顔を引きつかせた一同の形相は、瞬く間に般若へと変化する。

「なんですって!? アンタに言われたかないわよ!! 魔術もろくに出来ない落ちこぼれのくせに!!」

 顔をプチトマトのように真っ赤にしながら、いや、プチトマトみたいに可愛くはないな……。重量オーバーの熟れ過ぎたトマトのように顔を赤くしながら、おデブちゃんは激昂する。勿論、怒りが頂点に達しているのは彼女だけではない。逆に、ミリアは真っ青になりながら、ただ止めることも出来ずに見守るしか出来ないでいた。

「これから出来るようになるからいいんだよ。それに、魔術が使えなくてもあんた達には喧嘩で負ける気しないし。つーか、負けたくないし。とにかく、ミリア返して」

 ここはハッタリで何とかするしかないと思っているのか、朱音は強気な口調で言い募る。勿論、魔術を使える彼女達に攻撃されれば、籠手を出す暇さえなく瞬殺、フルボッコされるのは確実だろう。この学院に来て、魔術の授業を受け始めた朱音だが、それくらいは分かる。

(朱音。喧嘩はハッタリと根性さえあれば、ある程度はなんとかなるもんだ!! 俺の娘なら、きっと使いこなせる筈だ!! 頑張れ娘!! 父は応援しているぞ!!)

 と、いつか毛が薄くなり始めたのを気にしている親父が言っていた気がする。なんと言うか、情けない、それに何を応援しているんだと思う。が、ここはそれに頼るしかない。

「アンタこそ、とっとと消えなさいよ!! ウッザ~!!」
「友達を置いていけるか!!この重量オーバー!!」

おデブちゃんは変わらず激昂するが、手を出してこないと言う事はそれなりにハッタリが効いているか、それともただたんに学院内と言う事を気にしているのか。おそらく殆ど後者だろうが。

「プッ……聞いた?友達だって。もしかしてアンタ。コイツがなんて呼ばれてるか知らないの?」

 朱音のその言葉に、今までおデブちゃんと一緒になって怒りを撒き散らしていた中の一人が、堪え切れないように吹き出すと、周りの仲間に訴えかけるように視線を送る。そしてまた、朱音に視線を戻し、心底楽しそうに意味深に言い放つ。その表情は、勝ち誇っているようでもあり、目の前の朱音を馬鹿にしているようでもあり、反応を楽しんでいるようでもあった。

 勿論、朱音にその言葉の意味が分かるはずもなく、眉を訝しげに寄せる。その朱音の反応を見て、彼女たちはやはりと言ったようにいやらしい笑みを浮かべながら言葉を続ける。

「やっぱり、そうだと思った。……知ってたら庇うわけないものね。……忌み子なんて」
「忌み子?」

 より一層響く嫌味な高笑いに不快感を上げながらも、朱音は聞きなれない言葉を復唱する。その時、視線の先に居るミリアが、ビクリと大きく肩を震わしたのが目に付いた。重ねた自分の手を力一杯握り締めていたせいか、深く食い込んだ爪痕と、少し腫れぼったい瞳が痛々しい。
 それを見た自分の中にある怒が、一気にせり上がって来るのを感じる朱音。

「セイレーン種族の宝石の色は、青色って決まってるのよ。なのに、コイツの宝石の色は赤。種族の長たちは言ったわ、コイツは忌み子だって、私達セイレーン種族に災いを齎す子だって。これじゃあ、アリアも可哀想よね。こんな出来損ないの妹の面倒みることになっちゃってさ」
「そうよね~、同情しちゃうわ。だから、私たちがここから追い出してやろうとしてるんじゃない。アリアだけじゃなくみんなのためにさ」

 チラリと、横目でミリアの事を見ると、彼女たちはニヤニヤと笑いながらそう言った。アリアの宝石は青色でミリアの宝石が赤色なのは知っていたが、まさかセイレーン種族内では宝石の色がそこまで重要視されているとは思ってもみなかった朱音。

 朱音にとってはただ色が違うだけの些細な問題でしかない。宝石の色が違うとしても、ミリアはミリア。その事実は絶対に変わらないことを、朱音は分かっている。それよりも、今朱音が感じてることは、目の前に立つ彼女たちに対するはち切れんばかりの怒りだけだ。別に彼女たちは、誰かのためにミリアを傷付けているわけではなく、ただ面白半分に、自分達の欲求やストレス発散のためのミリアを使っているに過ぎない。沸々と湧く怒りが、朱音の表情を更に険しいものへと塗り替えていく。

 ギリッと歯を食い縛りながら、収まりきらない怒りを無理やりにでも押し込めると共に、苦い思い出、思い出したくもない過去をも必死に押さえつけた。

 更に言葉を続ける彼女たちの横を、無言ですり抜けミリアの傍に行こうとする朱音。話しても無駄だと判断したか、それともミリアをこれ以上この場に居させたくなかったのか、いつもの朱音なら間違いなく言い返すところだ。

しかし……

「シカト?……要するに、そいつは化け物よ化け物」

 嫌味なデブの一言。彼女にとっては、嫌味な小言の一つだったのだろう。

 その一言で、朱音の中で何かが音を立てて弾けた。グシャリと心臓が握りつぶされるような痛みと、吐き気がするほどの怒りという名の激情。小さく流れ出ていた感情が中から押し出され、勢いを増して否応にでも身体に滲み込んでいく。そして、記憶の奥底で久しく埋もれていたある時の記憶。

『化け物だ   ……を色濃く受け継ぐなど、人とは思えん』

『やめてください!! 私の子供を、そのように呼ぶのは!!』

『恐ろしや    跡取りが化け物とは……』

『この子は……などではありません!!』

       『いいや、この子は化け物じゃ! この子は……』

 

                    ――――――フザケルナ――――――

 

 抑えの利かない身体、朱音は怒りに任したままデブの胸倉を掴むと、そのまま壁際に叩きつける。一瞬の出来事に、その場にいた者全てが呆けたような表情をしていた。まさか、こんな事になるとは、彼女たち自身微塵も思っていなかったのだろう。壁に叩きつけても尚、更に力を加え押し付ける朱音。この学院に来て朱音が初めて見せる怒り狂った表情に、叩きつけられた彼女は勿論その場にいる全員に寒気が走る。そして、助けられた筈のミリアでさえ、朱音のその表情に恐怖に似た感情を覚えた。

「なっ何すんのよ!! 離しなさいよ!! コノッ!!!」

 抵抗するも空しく、朱音の予想以上の力の前に捻じ伏せられ、一向に力は緩む事はない。締め付けられた首は、息をするのも困難になる。周りの仲間は、助けようとするもどうしたらいいか分からず、オロオロと慌てて周りを見渡したり、傍らに居るものに助けを求めるような視線を送る。ミリアは、その状況を直視する事が出来ず、ただその場で膝を着き泣きじゃくっていた。

「お前らを見ているとむしずが走る……」

 壁に叩きつけた彼女を激しく睨みつけながら、憎悪の篭った口調で小さく呟く朱音。それと同時に、掴んでいた胸倉を更に締め上げる。

 その時だった、廊下に響いていた声を聞きつけたのか、規則を無視してこちらに慌ただしく向かってくる数人の足音がミリアの耳に届く。その音に、ハッと顔を上げながら廊下のほうに視線を送るミリア。そこには、いつもミリアが背中ばかり見ていた人物が居た。何かあれば、自分の事などかなぐり捨てて助けに来てくれる、華奢な両手をいっぱいに広げて、ミリアを庇ってくれていた姉の姿がそこにあった。

「ミリア!!」

 全力疾走してきたのか、息を荒げてミリアに駆け寄るアリア。目の端で、朱音の姿を捕らえてはいたが、廊下にへたり込みながら、涙で顔を濡らしているミリアを優先した。弱りきったミリアの姿に、アリアはギュッと胸が締め付けられる。ロザリィや雅美と共に、教室で寝ている朱音を起こそうと向かっていた最中、渡り廊下付近で誰かの荒々しげな声が聞こえてきたので、急いでここまで駆けつけてきたのだが、随分遅くなってしまったようだった。

 アリアより一歩遅れてきたロザリィと雅美は、その状況に絶句する。廊下に座り込んでいるミリアの様子がそうさせた部分もあるが、それよりも廊下で女生徒を壁に叩きつけている朱音の姿に目を疑った。

 有無も言わさず走り出す雅美。

「っ……!! あっ君、何やってるのよ!! 離しなさい!!」

 女生徒の胸倉を掴む朱音の腕を掴み、剥がそうと手に力を籠める雅美だが、いつもの朱音からは信じられないような強固な力のせいで、引き剥がす事ができない。

「あっ君駄目だってば!! 離して!! こんな事しちゃ駄目!!」

 必死に言い募る雅美の言葉にも、朱音の力は緩むことはない。


「こんなクズみたいな奴らなんか……私が殺してやる」


 ギリリッと歯を食い縛る口が、微かに開く。低くどこまでも低く、その微かな言葉は、響く筈もない廊下に響いたような気がした。

 その言葉は、雅美の心に大きな衝撃を与える。鈍器で殴られたような重い痛み。

 周りに居るロザリィ達は、呆然としたと言うか驚きが混じっているような表情をしていた。そんな中、ミリアが震える気持ちから精一杯振り絞った言葉はアリアだけに聞こえていた。

「だっ……

         バチン!!!!

 しかしそんなミリアの言葉も、風を切るような雅美のビンタによって掻き消される。

 乾いた音と、痛みによって驚いたように目を瞠る朱音。いや、その場にいた全員が雅美の予想だにしない行動注目していただろう。

「~~~~~~~っ」

 朱音は隣に立つ雅美を見る。怒ったような剥れたような顔をしながら、目の端に小さく涙を溜めたまま自分の事を睨む雅美の顔がそこにあった。先程の雅美のビンタが効いたのか、胸倉を掴んでいた朱音の手は既に離され、徐々に赤くなっていく頬からは鈍い痛みがしてくる。

「雅美……」

 呆然と、雅美の顔を見ながら、雅美のこんな表情を久しぶりに見た、と悠長な事を思う朱音。そんな朱音を、雅美は無言で睨み付けながらその場に押し倒す。一瞬、何が起こったのかもわからない朱音は、ヒンヤリとした廊下の冷たさを背中に感じながら、自分の真上にある雅美の顔を見つめていた。自分に馬乗りになる雅美は、先程と変わらない表情で無言の重圧をかけてくる。

 そして……

      バチン!!!

殴った……、えぇ、それはもう思いっきり

「……雅、美?」
「バカ」

 頬を押さえ、意味が分からず問いかける朱音。しかし、返ってきた答えはその一言。

そして……往復ビンタ

「バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!!バカ!! 」

バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!バチン!!!

「ちょっ!!まっ!!ぶっ!!ぐふぅ!!……」

 激しい雅美の攻撃に、逃げる事もできない朱音はその顔で全弾受け着る破目になる。その惨劇を、周りの者は声を掛けることも出来ずに居るのは言うまでもない。雅美が朱音から降りる頃には、霜焼けのように膨れた顔面のまま、廊下に転がりピクリとも動かない無残な朱音姿があった。

 そして、一通り朱音で鬱憤を晴らした雅美は、朱音に拘束されていた女生徒、元いいおデブちゃんをギロリと睨み付けると、勢いよく腕を振りぬく。スパーン!!と朱音の時よりは若干軽めだが、それでも痛いのには変わりはないだろう一撃がお見舞いされた。雅美から発せられる威圧感のせいか、朱音同様ビンタを食らったおデブちゃんは言い返すことも出来ず、じんわりと涙を溜めながら頬に手を当てていた。

「とっとと消えて」

 クルリと踵を返すと、おデブちゃんは勿論のこと、唖然としている彼女の仲間たちにも一喝する雅美。すると、雅美の怒りバロメーターの針が振れるのを恐れたのか、彼女たちは逃げるように階段を下りていった。

 


 その後、気絶した朱音を引きずり起こすと、一旦寮へと帰宅した雅美たちであったが、その間ミリアは、泣きじゃくりながらただ謝ってばかりいた。寮に帰った後も、部屋に閉じこもったミリアの落ち込み具合は一向に治らず、結局夕食のランチタイムにも顔を見せることはなかった。そして、傍目にも鬱陶しい程、アリアの落ち込みも徐々に増していく。いつものように、朱音に身体的攻撃や精神的毒気を吐く事もなく、食もまともに進んでいなかったことから相当重症なのだろう。

 食後のティータイム中、談話室でロザリィがミリアの状況を詳しく話してくれたのだが、どうやら、先程の廊下での件と同じような呼び出しや嫌がらせは今回が始めてではなく、朱音たちが編入してくるずっと前から続いていたそうだ。最初は、手紙などの軽いもので済んでいたが、日に日にエスカレートしていき今に至る。影を落としたような面持ちで話していたロザリィの横で、アリアは悔しそうに唇を噛みながら、赤い絨毯が敷かれた紅色の床をずっと睨んでいた。

 嫌がらせがある度に、アリアはミリアを守ってきた。それを考えれば、あの異常なまでのミリアに対する過保護さも頷ける。そのために、副会長まで上り詰めたのだとアリア自身が小さく口にもしていた。しかし、下手にアリアが加害者側に度が過ぎる刺激をすれば、その分ミリアに返ってくる事は必至。結局はミリアが更に窮地に追い込まれる結果になるのだと、ロザリィの重たい言葉が耳に残った。


「実の妹を守るために、か……」

 自室の布団に寝転びながら、朱音は物思いに耽ったように呟く。

 ロザリィの話を聞いた後、朱音はアリアとミリアの事で頭をもたげていた。アリアの厄介な日頃の行動も、ミリアの事を思えばこその事なのだが、どうしてアリアはそこまで身体を張れるのだろうか。ミリアの火種を庇うという事は、アリアにもその嫌がらせが向けられるかもしれない。

 朱音は考える。と言うより、想像する。

 もし、自分の弟がミリアのような立場だったら。意地も外聞も捨てて、迷わず助けに行けるだろうか、と。

 ついこの間まで一緒に暮らしていた貧弱な弟の顔が浮かぶ。いやらしく笑いながらパソコンを眺めている、何とも情けない弟の姿を。

 朱音はムクリと上半身だけ起こすと、頭の中で欲望がたっぷり詰まった画面を見る弟に対して溜息を吐く。

(絶対に無理だな。私はあいつに対して身体なんか張れん)

 冷たい考えだと思うかもしれないが、無理なものは無理だ。

 そんな思考が頭を巡っている時だった、突然の訪問者によってドアはノックもなしに開け放たれた。紫色の制服を翻し、整った顔を歪めた雅美は、息を荒げて朱音の部屋に乱入した。

「あっ君大変!! ミリアちゃんが居なくなったの!!」

 朱音が雅美に向かって怒鳴る前に、雅美は困惑を隠せない様子でそう言い放った。その言葉に、朱音の出そうとした怒声は喉の奥に吸い込まれ、小さく声を漏らすことしか出来なかった。

 

 

 何で……!!何でこんな事に!!


 アリアは寮の紅廊下を猛然とした速さで駆ける。通り過ぎていく者たちの奇異の目も、いちいち構っていられるほどの余裕はない。


 見つけなきゃ!! あの子の事だもの……きっと今頃どこかで泣いているに決まってる!!


 主人が居ない部屋を目の当たりにしたアリアは、次の瞬間目的もなしに走り出していた。こんな事、一度もなかった。自分に何も言わないで居なくなるなんて事を、ミリアは一度もしたことがなかったから、アリアの焦りが余計に加速する。当てもなしに寮内を駆けずり回るアリアの息は荒々しく、呼吸の度に気管が縮まりヒューヒューと悲鳴を上げるように音を立てていた。汗ばんだ身体が気持ち悪い。それでも、足は止まらず動き続ける。
 そんな時だった、アリアの腕を誰かが引き止めるように掴む。

 驚きと苛立ちを交えた感情で、アリアは掴まれた腕のほうに視線を向ける。そこには、見事なまでに乱れた制服の着方をしている鬼宮朱音が立っていた。白のブレザーは羽織らず、タイリボンもしていない。よほど慌てていたのか、黒色のワイシャツはだらしなく白のズボンの中からはみ出していた。
 アリアほどではないが、若干息も乱れている。どうやら、彼女もアリア同様走り回っていたらしい。

「何?私は今忙しいの、放してくれる」

 ギッと朱音を睨み付けながら、これ以上構っていられないと言うように、腕を振り解こうとするアリア。が、朱音は一向に放そうとしない。
 そんな朱音の行動に、アリアは苛立ったように叫ぶ。

「放してって言ってるでしょ! 今は……!!」
「落ち着けよ。闇雲に走り回ってどうするんだよ。一旦、みんなと合流しよう。それに、ミリアの事もそうだけど、お前の事も心配してた」

 突き放すように言おうとした言葉は途中で遮られ、朱音は落ち着いた口調でアリアに語りかけた。いつもよりも大人びた朱音の態度に、アリアは意外そうに目を丸くさせたが、一瞬でその身に怒りが舞い戻る。

「そんな暇ないわ!! ミリアは今も……」
「分かってるよ。だからみんなで探したほうが、早く見つけられるだろ」

 泣いている……、その言葉を飲み込むものの、アリアは辛そうに目を細める。その表情を見ていた朱音は、あぁ、やっぱり姉妹なんだなとしみじみと思う。アリアの勝気な性格と、ミリアの消極的な性格のせいか、表情の似つかない二人の接点を見たような気がした。
 長いとは決して言えない付き合いの中で、ミリアがこんな時笑っていられるほど、強いわけではないのは朱音でもよく分かる。そして、生まれた時から、いや、生まれる前からミリアの傍にいたアリアは、その事を一番感じているに違いない。

 だからこそ……

「みんなで探そう」

 自然と滑り出す言葉。真剣な顔つき、しかし、朱音の顔には柔らかい笑顔があった。

アリアやロザリィだけじゃない、私だって雅美だって傍に居る事を分かって欲しい……

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1986/10/31
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