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「あ~緊張すんな。魔術基礎って何やるんだろ」
昼食を取り終わり、朱音は午後の授業である薬術学に出席するべく、薬学実習室に移動中なのだが、ポツリとそんな言葉を漏らす。昨日は半日で学校が終わり、今日が初めて魔術授業を教わる日なのだ。それでなくとも、この学院の生徒になったばかりの朱音は、今まで魔術に関わる出来事や授業が全くといっていい程なかったため、大幅に他の生徒よりも魔術に関する基礎知識が足りていない事もあり、更に緊張が大きくなる。
「そんなに緊張しないの。今から出る薬術学っていうのは、魔法薬の精製や効果に対する知識を勉強するの。理科みたいなものよ」
ガチガチに緊張している朱音とは違い、雅美はいったって普段と変わらない堂々とした態度だ。
「くそ~、何でお前はそんなに余裕ぶっこいてられんだよ」
訝しげに雅美を睨みながら、朱音は口を尖らす。
「だって私は魔術に関するセミナーや、教えをそれなりに受けてたもの」
六道家の長女は伊達ではないと言ったところか。鬼宮の親戚であるが、符術を主な武器として使ってきた六道家。雅美には朱音のような特殊な血族である鬼宮家の血は一切流れていない。雅美は朱音の曽祖父にして鬼宮家の当主だった、連次郎の嫁である六道秋方の人間なのだ。六道家というのは、退魔師の業界では知らぬ者がいないと称されるほどの、陰陽術や符術のエキスパートなのだ。だから、魔術にも関わる機会が山のようにあったし、退魔師である雅美の周りには、魔術を知る人々が多数存在していた。これが、朱音との経験の差を表しているといえよう。
「大体、薬術学って何だよ。意味あんのか?」
いまいち魔術を理解できていない朱音は、薬術学の重要さが分かっていないようだ。朱音の想像していた魔術は、漫画で繰り広げられるようなドンパチ。いわゆる、黒魔術ばかりを想像していたせいもあった。
「じゃあ、もしあっ君が、石化の魔術が掛けられたとき、どういう風に対処するつもり?」
「そりゃ、気合と根性でなんとかする」
無茶苦茶な事を言う朱音に対して、雅美は呆れ気味に視線を送りつつ溜息をつく。気合と根性で何とかなるなら、そもそも魔術なんてものも必要ないと思うのは気のせいか。
「馬鹿。薬術学って言うのは、今のあっ君みたいな人に一番必要な知識でもあるの!! あっ君は石化解除の魔術も使えないでしょ。そう言う時に、薬術学を知っていて薬を精製し所持していると、魔術を使えなくても石化を解除することが出来るの。分かった? あっ君みたいな魔術も使えないで、猪突猛進な人は習っておいて損じゃないから、授業中居眠りなんかしてたら許さないわよ」
いつものように説教口調で凄みのある雅美の言葉に、反論することも出来ないまま朱音は頷くが、顔は納得していない。朱音にとっては、どんなに必要だろうと重要だろうと、面倒な事には変わりないのだった。
朱音と雅美がそんな話をしている時、着々と事を進めている人物がいた。朱音達のクラスメートにして高等部の生徒会長であるロザリィだ。
「失礼します」
はっきりとした口調でそう告げるロザリィの声は、静かに職員室に響く。軽やかな足取りで教員達の間を進みながら、ロザリィは目的の人物の前まで歩いていった。
「あら、フレスヴェルグさん」
そんなロザリィの存在に気付いたのか、目の前に腰掛けている中年女性は柔らかい口調でそう言った。
「マドュルク先生、ご機嫌よう」
ロザリィはいつもと変わらない様子で挨拶する。ロザリィの目の前に座る彼女は、薬術学専門教師のマドュルク=ナバル。この学院の中でもかなりの古株でベテラン教師だ。
「ご機嫌よう。今日の当番はフレスヴェルグさんだったかしら?」
と、優しい口調で疑問を尋ねる姿は、どうにも祖母の姿を連想させるロザリィ。
「いえ、今日は当番の人に代って頂いてこちらに……」
「あら、そうなの」
「マドュルグ先生、私のクラスに編入生がきたのをご存知ですか?」
「えぇ、話には聞いていましたよ。鬼宮さんと六道さん……だったわよね」
「はい。最近、私はその方たちと昼食をご一緒しているのですが……。話を聞いたところ、六道さんは、魔術についてのセミナーや勉強をしていたのですが、鬼宮さんに至っては所属していた学校に魔術教科が一切なかったそうなのです」
心配そうにそう言うロザリィだったが、情報収集に余念が無いのは驚くべきところだ。昼食時に話している事を、しっかりと把握している。
「まぁ、それは大変ね。薬術学はエーテルを全く使わない反面、知識を要するものだから……」
「そうなんです。それに、鬼宮さんは今日の薬術学が始めての魔術教科でもあるし……」
「確かに少し厳しいところがあるわね。一から教えるにも、一人の生徒のために授業時間を潰すわけにもいかないし」
「はい。ですから、少し考えてみたのですが、六道さんは私が出来うる限り教えます。知識もそれなりにあることも分かっていますから」
「そう、それは助かるわね。しっかりと教えて差し上げてね……。後は、鬼宮さんね……」
ロザリィに任せるというのも手かもしれないが、二人を同時に教えるのは大変だろう。同じ編入生でも知識が有るのと無いのでは、理解できる幅も違うのは当たり前だからだ。
「鬼宮さんですが、リセリアさんに任せるというのはどうでしょう?」
この展開を待ち望んだかのようにそう言うロザリィ。わざわざ当番を代わってまで来たのは、この提案を通すためである。リセリアを生徒会へ引き入れるための計画を、着々と進めなければならないが、それはリセリアに不審に思われないようあくまで自然に行わなければなら無い。最後は、リセリア自身の決断で生徒会に入らせなければならないのだ。
トロルの一件の時垣間見せたあのリセリアの表情といい、興味が無いという事は絶対にないと、ロザリィは確信しているのだ。
「そうねぇ、確かにリセリアさんなら教えるのも上手だし、私から言っておくわ」
「えぇ、先生お願いします。あと……、この事を提案したのが私と言うのは伏せていて欲しいのです。リセリアさんに面倒事を増やしているという風に思われたくは無いので……」
申し訳なさそうに言うロザリィ、その演技は演技に思えないほどの上手さだ。
「あらあら、分かりましたよ。ロザリィさん、わざわざありがとうね」
優しくそう言うマドュルクの顔を見ながら、ロザリィは自分のほうが感謝の意を述べたいほどだった。その後、授業に使う教材を持ち、ロザリィは薬学実習室に移動ついでに、新たな先生の元に急いだ。
何なの、この意図的としか言いようの無いグループは……
薬術学の授業は主に実習であり、グループごとに分けられる。それは毎度の事なのだが……
でも、何故よりにもよって……
「おい雅美。コレ何の生き物だよ」
こいつが私の隣に座っているのだろう……
朱音は配られた原料を凝視しながら、恐る恐る突く。
「ア゛ア゛ァァ~」
その度に、苦痛な声を上げる原料?は、葉の下に人型の根がついている謎の薬草、名称はマントラコラと言うらしい。何でも、マンドラゴラと言う貴重な薬草の紛い物で、せいぜい麻痺薬を作る程度にしか用いられないと言っていた。
不気味な人の顔を模したような窪みから、叫び声を上げる姿は……はっきり言って気持ち悪い。
それにしてもだ、それ以上に気になるのが、どうしてこんなにも私の班は険悪な雰囲気に包まれているのだろう……
「とても面白い班の組み合わせですね。ロザリィさん」
「あら、そうですか?私は至って自然に思えますけど」
朱音の隣で見えない火花を散らしながら、お互い冷淡に笑い言葉を交わすロザリィと銀髪の美少女。
名前は、リセリア=ワルキュレイゼと言うらしい。魔術が全く持って理解できない私を気遣ってか、薬術学教師であるマドゥルク先生が、クラスの中でもトップクラスの成績を持つ彼女と私を同じ班にしてくれたのだ。
その気遣いはとても嬉しいのだが、先程から見ている通り、班分けからずっと冷戦を繰り返している二人の様子に少なからず威圧されてしまっている。
「ア゛ア゛ァァ~……!!!」
二人の冷戦を横目で窺うように見ていた朱音であったが、突然上がった不気味な苦悶の声の方に、反射的に視線が移る。
そこには、マントラコラの根の先を数ミリ単位で、ブチブチと音を立てながら引き千切る雅美の姿があった。
「オ、オイ……雅美。何やってんだよ」
「だって、暇なんだもん」
「ア、ア、ア……ア゛ア゛ァァ~……!!」
その光景に寒気を感じつつも、恐る恐る声を掛ける朱音であったが、雅美は言葉通り心底暇を持て余した口ぶりでそう返答する。朱音の方に視線を移すものの、手はマントラコラを千切り続けている。その姿を見ている朱音は、いくら不気味な姿をしているといっても、流石に居た堪れない気持ちになってくる。
「雅美、可愛そうだからそろそろ止めてやれ……」
「え~、だって後ですり潰すんだからいーじゃない」
「すり潰す!?」
「あっ君が」
「私が!?」
と、雅美と朱音がそんな会話をしている最中、やんわりとした声が室内に響く。教壇の上に立っていたマドゥルク先生が、授業の説明を始めたのだ。流石の雅美も、マントラコラを引き千切る手を止め、マドゥルク先生の説明に耳を傾ける。よかったな、マントラコラ……
「はいはい、皆さん。それでは今から、マントラコラを原料に麻痺薬を精製します。しっかりと聞いて覚えてくださいね」
マドゥルク先生は、教室に来たときからの笑顔のまま、優しそうにそう言った。その笑顔はやはり、学院の教師などとは到底思えないような暖かなものがある。教団に立つよりも、縁側でお茶でも飲みながら、猫と和んでいるほうがずっと似合っていると朱音は思う。
「ではまず、麻痺薬の原料となるマントラコラの体液を搾り出します」
笑顔のままそう告げるマドゥルク先生。
「その時の注意点ですが、体液に直接触れるのはあまりよろしくないので、搾り出す時はゴム手袋を着用してくださいね」
そう言いながら笑顔のまま、ゴム手袋を着用するマドゥルク先生。その笑顔に寒気を感じたのは私だけだろうか。
「やり方は至って簡単です。マントラコラを両手で持ち押しつぶせば、目や口の窪みから体液が出てきます。ほらこのように」
「ア゛ア゛ア゛ア゛アァァァッァァ……!!」
説明をしながらマントラコラを押しつぶすマドゥルク先生。その表情からは、笑顔が消えることはないものの、その姿が逆に怖い。マントラコラの窪みからは、緑色の体液が大量に噴出し、受け皿として置いてあったすり鉢に溜まっていく。そして、次第に弱まっていく叫び声がこと切れる頃、マントラコラ形成していた根は、日干し大根のようになっていた。
その惨状を見ていた朱音の顔も、血の気が引いたように青くなり、冷や汗を流れていた。
「もし、搾り出す事に抵抗があるならば、受け皿として置いてあるすり鉢を使って、すり潰してもかまいません。……分かりましたか、鬼宮さん?」
「はっはひっ!!」
編入生の朱音を気遣ってか、優しく尋ねるマドゥルク先生だったが、朱音は先程の恐怖が取れていないのか声が裏返ってしまう。
「はい、では各自班ごと始めてください」
朱音の不自然な態度にも、咎めもしないで優しく笑うマドゥルク先生は、クラス全体に指示を出し、教壇の脇にある椅子に腰掛けた。
「ね、すり潰すって言ったでしょ?……はいコレ」
「……何故私に渡す」
朱音同様、あの惨状見ていた筈の雅美は、至って顔色を変えもせずそう言うと、ゴム手袋とすりこ木を差し出してくる。手渡されたすりこ木を、訝しげに見つめる朱音。
「何故って……、あっ君は賢い子だから分かるよね」
不満そうに呟く朱音の言葉を気にもせず、極上の笑みを称えながら催促する雅美。そんな雅美から、助けを求めるようにリセリアとロザリィの方に視線を移すが、二人は早くやれよと言わんばかりの顔つきでこちらを見ていた。
チラリと、横目で原料であるマントラコラを見る。その歪で不気味な窪みが、朱音には泣き顔のように見えてくる。これから自分に起こる末路を暗示しているかのようだ。いつも、理不尽で悲惨な状況に追い込まれる事が殆どの朱音は、マントラコラに対して親近感にも似た感情が湧いてくる。
「私に友であるマントラコラを殺せというのかー!」
「何、訳分かんない事言ってるのよ……ちゃんと頭起きてる?」
「へぶぉっ!!」
瞳に涙を溜めながらそう叫ぶ朱音の顔を、怪訝そうに睨みつけながら頬に張り手を食らわす雅美。
「ほら、ちゃっちゃと始める」
椅子から転げ落ち、床に膝を着く朱音の顔を見下ろしながら、雅美はさっさと実験の準備を始める。そんな雅美の顔を、恨めしそうに睨む朱音の横に、いつの間にかリセリアが佇んでいた。
「他の班は、もう実験に取り掛かってるわ。私たちも早く始めましょう」
「あ、……はい」
雅美とはまた違った冷ややかな視線を朱音に送りながら、落ち着いた口調でそう言うリセリア。威圧感漂うその姿に、朱音は赤くなった頬を擦りながら押され気味にそう呟いた。
原料であるマントラコラを目の前に、ゴム手袋を装着し、勇ましくすりこ木を手にする朱音の姿とは逆に、顔は心底嫌そうに歪めていた。
「他の班より若干遅れをとっているわ。早速はじめましょう……まずは、体液を採取しない事には、何も始められないから、鬼宮さん。お願いするわね」
会話をしているのにも関わらず、リセリアの顔は無表情そのもといった印象を受ける。よく言えば淡白と言えるのかもしれないが、無表情の方が的確な表現だと思う。その曖昧な二つ、淡白と無表情を区別したのが、リセリアから感じられる冷たさにも似た雰囲気がそうさせたのだろう。
人形のように端正な顔立ちと肌の白さ、立ち振る舞いからも感じ取れる気品の良さといい、他の生徒たちより秀でているのがよく分かる。しかし、それ以上に印象深いのが、緑色をした瞳だった。幼げな凹凸の少ない体つきに不釣合いな大人びた瞳。射抜くような視線が、彼女の冷たさを増長させているのである。
「朱音さん。私も出来るだけお手伝いしますから、頑張りましょう」
優しく朱音に微笑みかけながらそう言うロザリィの顔に、リセリアは一瞬視線を移したが、また何事もなかったように実験に使う道具を手入れする。
「あー……頑張ります」
ロザリィの笑顔を前にして断れるはずもなく、朱音は力なく答える。すると、ムッとした表情で朱音を見ていた雅美が不満そうに口を開いた。
「あっ君てさー、ロザリィに言われると大人しくいう事聞くよね。私の時は、素直に聞かないくせに」
「お前の場合はお願いじゃなくて、理不尽な命令じゃんかよ」
「ふーん、あっそぉ。もういいわよ、さっさと作業しなさいよね」
朱音の方をジド目で見ていた雅美はそう言うと、フンッと鼻を鳴らしながら顔をそむける。
「はいはい、やりますよ。やればいいんでしょ」
ブツブツ文句を言いながら、すりこ木をマントラコラに構える朱音。しかし、マントラコラに押し当てたすりこ木は、一向に動こうとしない。勢いで了承してしまったものの、こんな残虐非道な事をしてしまっていいのかと、今更思う朱音。って言うか、正直呪われそうで怖いというのが本音。
(……視線が痛い)
固まって動かない朱音に、メンバーの視線が一気に降り注ぐと言うか突き刺さる。そして、すり鉢から悲しみに満ちた視線を送るマントラコラの視線が……
(出来ない……。やっぱり出来っこないよ!!)
朱音が心の叫びを上げた瞬間、悲劇は起きた。
「あっ君何やってるのよ。そのまま擦ればいいだけじゃない、ホラ」
痺れを切らしたようにそう言った雅美の手が、朱音の手に重ねられ、すりこ木に負荷が掛けられた。
「ギギギィィィ~~~~~~~~!!」
「なぁぁああああああ!!」
悲痛なマントラコラの叫びと共に、ゴリゴリとした感触やら、振動が朱音の手に伝わる。すりこ木を離したくても、雅美の手が覆いかぶさるように重ねられているため、離すことも出来ず雅美の手の動きと同様に、朱音の手はマントラコラが液体化するまで潰し続けた。
「う゛ぅ~」
午後の授業が終わり、生徒たちが寮に向かって足を運ばせている頃。朱音は保健室いた。
「いづぅ~~」
「朱音ちゃんたら、そんなに私の手厚い看護を受けたいのかしら?うふふ……」
艶を秘めた視線を送りながら、痛みに悶える朱音に手当てを施す保険医のシェリス。
薬術学の授業が終わりを告げた後、朱音は心を磨り減らした人形のような顔になっていた。マントラコラを擦っている最中、自分の心まで擦ってしまったかのように……
しかし、地獄のレッスン(薬術学)から、やっとの事で開放されたと思っていた朱音は、まだ続く五・六時限目の授業を甘く見ていた。その時の光景を思い出すたび、朱音の身体は狂ったようにブルブルと震えだす始末であった。