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 朱音は悲鳴と言うか叫び声に近い声を上げ、その場から跳ね起きると、一目散に来た道を走り出す。が、それを見過ごすしてくるわけもなく、追いかけてくるトロル。それも意外に早い。そして顔は予想通り怖い。

(何で私があんな厳つい顔した輩に追いかけられなきゃなんないんですか!? 何アレ!? セ○ム? 新手のセコ○!?)

 全力疾走しながら、朱音が脳内に繰り返すように叫んでいた意味の分からない心の叫びを上げている間に、トロルは直ぐ後ろに迫り棍棒を薙ぎ払う。勢いに乗ったトロルの棍棒からは、バットを振った時のような、風を切るゴウとした音が聞こえた。朱音は運よくそれに気づくと、頭から飛び込むようにして避ける。

「ぶっ、ぐほおぁ!!」

何とも色気もくそもない声を上げながら、地面にへばり付く朱音。

「ぐっ……腹がいてぇ」

 何とかトロルの一撃を避けられたものの、飛び込んだときに受けた腹への衝撃が効いているらしい。プールで飛び込んだとき、飛び込みの仕方が下手糞で腹を水に打った時と似た痛みである。いや、水ではなくコンクリートな分、こちらの方がまず間違いなく痛い。

 だが、ずっと痛がっていられるほど余裕がある状態ではないため、すぐさま立ち上がると、相手に向き直る。が、向き直ったはいいものの、この後どうすればいいのか分からない。逃げられればベストなのだが、生徒が朱音とトロルを遠巻きに見ているせいで、運悪く囲われてしまっている。周りを窺ってみるが、逃げ道らしい逃げ道がない。かと言って、朱音が逃げて生徒のほうに向かえば、他の生徒が危険に晒されてしまう。

「何で追いかけてくんだよぉ……」

 言葉の通じないトロルにそんな事をぼやいても仕方がないものの、言わずには居られないのが今の朱音の心理状態なのだろう。

「シ……シンニュウシャ……ホカク、スル……」

返事が返ってくることはない空しい独り言が、まさか会話に成り立つとは考えていなかった、予想だにしなかった一言。低く擦れたような声、人間味があまり感じられない異様な雰囲気をまとわり付けたその言葉。呂律が回っていないのか、滑舌しっかりしないため聞き取りに難があるが、確かに人語発したトロルを見て動揺する朱音。

「え? ……」

 あまりの驚きに、自然と口から言葉が漏れる。

(こいつってまさか……知能が発達している希少種なのか!? それなら、見境のないトロル達のように一撃目を外すことも、すぐに襲い掛かって来ないのも合点行く。
ってことは、相手に言葉が通じれば、戦わずにすむじゃないか!!)

 相手に言葉が通じることに気づいた朱音は、相手を刺激しないよう落ち着いた口調で語りかける。

「え~と、何か勘違いをされているようなので、言わしてもらいますけど……私は、今日からここに通うことになった者なんですけども」

 相手の目を見ながら、朱音は遠慮がちな口調でそう告げる。そんな朱音の顔を、トロルは静かに見据えながら沈黙する。どうやら、何事か考えているらしい。朱音はというと、トロルが考え込んでいる姿を見ながら、安堵の表情を見せていた。

(よかった、どうやら分かってもらえそうだ。……おとーさん、おかーさん、いい子にしてた甲斐がありましたよ♪)

 朱音が、先ほどまでの緊張が解けたようにそんな事を思っている最中、遠巻きに見ていた雅美には一抹の不安が過ぎる。

(いつもの展開で、あれで終わるとは到底思えないわ……)

 そんな正反対の二人の思惑が交錯する中、トロルは考えが決まったのか、その重たそうな唇を開く。

「コ、ココハ……ジョガ、クイン……オ、オトコ、ガ、ハイレル……バショデ、ハ、ナイ……ウソヲ、ツクナ……」

途切れ途切れにそう言いながら、トロルは攻撃態勢に入り、一気に先程の殺気がその身に蘇る。

(えっ、ちょい、待て……)

「う゛わ゛~~~~~~~!!」

 朱音は驚愕し、叫びにも似た声を上げる。

「やっぱり……」

 雅美は、額に右手を当てながら、呆れ気味にそう呟いた。

 そして次の瞬間、トロルは朱音の脳天目掛けて棍棒を振り下ろすも、朱音は間一髪のところでそれを左側に跳んで避ける。棍棒は、地面を抉る様にして朱音が今さっきまで居た場所に勢いよくめり込んだ。その破壊力は、さっきの警告まがいの一撃とは比べ物にならないパワーである。今度は、朱音を本気で叩き潰す気らしい。

「ごっ誤解だ!! 私は正真正銘女だ!!」

 更に攻撃を繰り出そうとするトロルに向かってそう言うものの、一向に聞く耳を持たないトロルは構わず攻撃を仕掛けてくる。

挙句……

「オ、オマエノ、ヨウナ……オンナ、ミタコト、ナイ」

の一言。

(……なっ、なんで、こんな厳つい顔した奴にこんなこと言われなきゃ何ねーんだよ!!)

この一言で、朱音の堪忍袋が切れる事となる。

「ウガ~~~~~~~~!! てめぇの方こそ緑茶見たいな肌してるくせに、人様のルックスの問題を担ぎ上げんじゃねー!!」

憤慨しながらも、トロルの一撃を最小限の動きで避けながら、トロルの間合いに一歩近づき、助走を殺さず勢いに乗ってそのままトロルの顎を蹴り上げる。そしてそのまま、空中をバク転し距離をとる。

(か……かってぇ~……。ジンジンする……)

 着地も成功し、間合いも十分に取れたはいいものの、トロルの顎に全身全霊で蹴りを打ち込んだせいで、右足に麻痺したような感覚が走る。思っていたよりも強靭なトロルの顎は、鉄の塊を蹴り上げたような重みと抵抗があり、少し怯んだ程度で致命傷は与えられなかった。

(あいつ何食って生きてんだよ……!? 鈍器か!? 石か!?)

 朱音はトロルを睨み付けながら弱点を探すものの、決定的な弱点が定まらない。その上、こちらには武器がない分不利な戦いでもある。朱音の戦闘スタイルは主に剣であり、伯父から貰い受けた愛刀は、寮のゴスロリ部屋に置いてきてしまった。

(あぁ、何でこんな大事なとき置いてきちゃうかな~……)

 軽く溜息を吐きながら懊悩する朱音は、今の好ましいとは言えない状況下を打破できる案がみつからない上に、相手は隙有らば攻撃をしてくる輩。剣があれば幾らか戦う術があるものの、残念ながら今はその頼みの繋がない。今のところ頼れるのは、己の素手と身体のみの肉弾戦しかないのだが、初撃で判断した結果、今の朱音の攻撃力からの打撃攻撃は、相手に殆どダメージを与えられない。

(う~ん……アレを使うのは、どうにも気が進まないんだよな)

 しかし、方法が無いわけではないのだ。今の朱音の身体的な力だけでは相手に致命傷を与えられない、与えるためにはその身体能力に上乗せする別の力が必要になる。

その力というのは、人の内面的な力、一般的に精神力と言われるもので、呼び方はそれぞれ異なる。気や魔力、エーテルとも言われるその力は、何も無い所から火を生むことも、そのまた逆に水を生むことも出来る。これを一般的に黒魔術と呼び、自分の身の回りに干渉しそう言った現象を引き起こすことが可能になる。また、自分の持ち物や自分自身に力を加える術を、主に白魔術呼び、黒魔術のように目に見える変化は無いものの、物の硬さや精度を上げることが出来、肉体の身体能力を飛躍的に向上させることが出来る。肉体に力を加える場合は、むしろ自己暗示に近いものがあるとも言える。

かと言っても、人間には限界値と言うものが決まっており、肉体の限界値を超える力を使えば、肉体に負荷がかかり過ぎてしまい壊れてしまう。伸びきってしまったバネが元に戻らないのと同じように。
 それを防ぐ方法は、肉体ではなく別の何かに自分の力を流す事でこれは改善されるのだが、朱音はどうにもこの方法を渋っているようだ。

 いまいち踏ん切りがつかない様子の朱音を待っていてくれるわけも無く、トロルは攻撃を開始する。巨体の割には俊敏な動きで間合いを詰めると、棍棒を勢いよく朱音に向かって薙ぎ払う。
猛威の如く振るう棍棒を、朱音はそれを寸前のところでバックステップで避けるが、次の瞬間それを予測していたように、トロルは朱音に向かって突進する。

(げっ!! ヤバ!!)

 時既に遅し、バックステップ中の朱音には避けようの無いトロルの突進。反射的に両腕を組みガードするものの、トロルの巨体から繰り出される突進の威力は凄まじく、鉄球をぶつけられた時の様な酷く重みのある衝撃が身体を伝う。

 「ぐっ……!!」

 弾き飛ばされた朱音は、苦痛に顔を歪め小さな呻き声が漏れ、一瞬目を閉じてしまう。トロルは、その隙をさらに生かすかのように、棍棒を朱音に向かって振る。微かに目を開けた朱音の俄然には、トロルの棍棒が迫ってくるのが見えた。弾き飛ばされた時点で、朱音には避けるという手段は残されていない。トロルの突進のせいで思うように身体が動かない朱音は、ガードをする腕に力を込めることしか出来ない。

 勢いに乗った棍棒の攻撃を受けた瞬間、朱音は車と衝突でもしたかのような錯覚に襲われ、そのまま数メートル先まで飛ばされた。



第三章 《泣きっ面にトロルⅡ》へ

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